千葉県船橋市市場1丁目の船橋中央卸売市場は,2014年4月1日より船橋市地方卸売市場に転換した. 2004年,政府が新たな卸売市場法を2004年6月9日から施行し,この基準によって地方卸売市場に転換したものだ.
現在の船橋地方卸売市場(千葉県船橋市市場1丁目).
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戦前戦後の食糧困難時期には,国鉄船橋駅前の南北にあった2つの民営魚市場と,周辺に開設されていた11カ所の民営青果市場が設置されていた.
1965年(昭和40年)ごろの国鉄船橋駅(左). 1970年(昭和45年)ごろの国鉄船橋駅(右).
1965年_昭和40年ごろ_船橋駅周辺_北から南へ_1121970年_昭和45年_船橋市本町_船橋駅_DSC05445T
船橋市山手には,戦闘機のエンジンなどを組み立てていた日本建鐵船橋製作所(戦後三菱電機の工場となる)があった関係から空襲の標的にはなったものの,被害は軽微であった.
1962年(昭和37年)ごろの国鉄船橋駅北口(左). 1974年(昭和49年)ごろの国鉄船橋駅北口(右).
1962年_昭和37年_船橋市_国鉄船橋駅_京成船橋駅_1218_DSC01859T1974年_昭和49年10月_船橋駅北口前_112
1945年(昭和20年)3月10日夜の東京大空襲のときも,二宮町役場(現,船橋市立二宮中学校あたり)周辺の軽微な被害で終わっている. 陸軍騎兵学校(現,自衛隊習志野駐屯地)を狙ったものが外れたのかもしれない.
1955年(昭和30年)ごろの国鉄船橋駅北口の市場.
1955年_昭和30年_船橋市_国鉄船橋駅_北口_1641955年_昭和30年_船橋市_国鉄船橋駅_北口_184
国鉄船橋駅北口前(現在のバスロータリーあたり)の魚市場が一番大きな市場となっていたが,大きな空襲の被害がなかったこともあり,船橋駅周辺には闇市が広がっていて,公平,公正な取引が行われるような状況ではなかった. 一時は,「日本の上海」とまで言われた
1945年ごろの市場の場所. 1961年ごろの市場の場所.
1945年_船橋市市場1_船橋地方卸売市場_1101961年_船橋市市場1_船橋地方卸売市場_110
船橋漁港が近いということから,江戸前の新鮮な魚介類を求めて都内からも国鉄総武線京成本線を使って客が大勢押し寄せていた.
1974年ごろの市場の場所. 1988年ごろの市場の場所.
1974年_船橋市市場1_船橋地方卸売市場_1121988年_船橋市市場1_船橋地方卸売市場_112
いずれの市場の規模は小さく,今後の人口増による需要増に耐えられるような状況ではなかった.
千葉県船橋市市場1丁目の船橋中央卸売市場(船橋地方卸売市場)予定地.
1969年_昭和44年_3月_船橋市中央卸売市場_施設_1121969年_昭和44年_船橋市_船橋中央卸売市場_移転工事_管理棟_116
1923年(大正12年)に中央卸売市場法(のちに卸売市場法)が制定されていたが,中央卸売市場を設置するためには,人口20万人以上という条件をクリアする必要があった. 船橋市が,人口20万人を超えたのは,1964年(昭和39年)ごろからとなる.
船橋地方卸売市場の新管理棟建設予定地(2014年5月ごろ).
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船橋市においても,中央卸売市場の建設計画の検討が始まり,民営市場の統合による生鮮食料品の流通改善を目的に,1965年度(昭和40年度)から中央卸売市場の開設事業が始まる...続きを読む