1945年(昭和20年)8月,第二次世界大戦(大東亜戦争)は終戦した. 日本はどん底から立ち直り,高度成長時代へ向かう. その高度経済成長をささえたのが,地方から首都圏へ就職した若い労働者だった.
20110703_船橋市_高根台団地_UR都市再生機構_1245_DSC079001966年_昭和41年_船橋市_高根台団地_012
まもなく若い労働者たちは,結婚して家庭を持つ. その受け皿として,新京成線沿線に日本住宅公団(現,都市再生機構)が前原団地(昭和35年),高根台団地(昭和36年),習志野台(昭和42年)などと,大規模団地(マンモス団地)を相ついで造っていく.
1961年_昭和36年_高根台団地_1117_DSC03294T20110703_船橋市_高根台団地_UR都市再生機構_1246_DSC07911
1960年(昭和35年)以降,船橋市の人口は加速度的に増え続け,特に1964年の東京オリンピック以降の1965年-1975年の10年間だけでも,20万人も人口増加することとなる. 高根台団地には,293棟+8棟が造られ,4870戸が入居,人口は2万人(現,1万2000人)を超えた.
20110703_船橋市_高根台団地_UR都市再生機構_1245_DSC07902T1961年_昭和36年_船橋市_高根台団地_入居開始_010
それまで借家といえば,木造建築の長屋のような住宅だったが,団地は鉄筋コンクリート造りで,当時はまだ珍しいダイニングキッチンや水洗トイレといった先進的な住宅設備を備えていた.
20150719_船橋市高根台5_第49回たかね夏まつり_1333_DSC0064420150719_船橋市高根台5_第49回たかね夏まつり_1327_DSC00632ハイカラな団地暮らしは,中堅サラリーマン層にとって憧れの住宅で,2時間ほどの通勤時間であっても,応募倍率はかなり高かった.
20150724_船橋市高根台5_第49回たかね夏まつり_2321_C002802020150719_船橋市高根台5_第49回たかね夏まつり_1333_DSC00645
しかし,入居開始から40年以上が経過した老朽化した団地は,若い家族は敬遠し,ますます団地の高齢化が進んでいる. 古い団地は,エレベーターがなくバリアフリー対応も不十分で,高齢者にも住みにくい住居となっている.
20150719_船橋市高根台5_第49回たかね夏まつり_1329_C002501020150719_船橋市高根台5_第49回たかね夏まつり_1329_C0025030
1997年(平成9年)頃から,前原団地を皮切りに中層の新しい団地へと変貌を遂げた. 高根台団地も,1999年(平成11年)からの建て直し事業をおこない,6階-8階建てのアートヒル高根台として再生した. <若い家族が戻り団地の平均年齢が下がっている.
20150719_船橋市高根台5_第49回たかね夏まつり_1330_C002603020150719_船橋市高根台5_第49回たかね夏まつり_1331_C0027010
高根木戸駅から徒歩13分ほどの高根木戸近隣公園(千葉県船橋市高根台5丁目/ 6821m2)がある. 1周520mの遊歩道に囲まれた公園で,野球場1面とテニスコート3面がある大きな公園だ.
20150719_船橋市高根台5_第49回たかね夏まつり_1331_C002703020150719_船橋市高根台5_第49回たかね夏まつり_1331_C0027050
この高根木戸近隣公園で,2015年7月18日(土)-19日(日)の2日間の日程でたかね夏まつりが夕方から開催された. 今年で,49回目となる...続きを読む