京成本線船橋大神宮下駅から徒歩で10分ほどの場所に,大型商業施設のららぽーとTOKYO-BAYと大型マンションの船橋ファアミリータウン(総戸数 785戸)があるが,かつてこの場所には東洋一といわれた船橋ヘルスセンターがあった.
1961年ころの新船橋橋(左). 1974年ころの新船橋橋(右).
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戦後の混乱期からようやく生活が安定したころ,東京都江東区の猿江恩賜公園の近くの深さ 600m の井戸から,突然天然ガスが自然に湧き出た. 1951年(昭和26年)のことだった. 戦時中に,軍が資源確保のために掘ったものだった. これがきっかけとなり,船橋市でも天然ガスの試掘を始める.
1979年ころの新船橋橋(左). 現在の新船橋橋(右).
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水溶性天然ガスだけではなく,36度の温泉が出てきたことから,「汐干狩に海水浴一日楽しく遊べる海の温泉娯楽場」として複合温泉施設の船橋ヘルスセンターが1955年11月に開業する. 隣りの習志野市でも,同じように天然ガスの採掘を始めるが,期待するほどの埋蔵量はなく,すぐに枯渇してしまう.
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船橋ヘルスセンターは,日帰りできる手軽な行楽地として人気となり,千葉県はもとより県外からも,観光バスや鉄道で多くの人びとが来場し,最盛期には年間400万人にもなった.
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当時の最寄駅は京成本線大神宮下駅となり,そこから赤い人道橋(自転車歩行者専用)の浜町橋(1970年と2000年に架け替え)を渡り,浜町商店街の遊路を歩いてきていた. 東京方面からの観光バスは,国道14号から新船橋橋を渡って来ていた. 当初の新船橋橋は,狭い橋1本しかなく,交互に行き来していたものと思われる. その後2本目の(下り)が追加される.
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だが,温泉天然ガスを組み上げ過ぎ,海老川周辺を中心に地盤沈下が深刻となる. 1971年(昭和46年)には,千葉県は関係事業所と「地盤沈下防止協定」を締結し,天然ガスを含む地下水(温泉)の採掘が基本的にできなくなる. ただのスーパー銭湯となってしまった船橋ヘルスセンターは,魅力が薄れてしだいに客が離れていく. そして,1977年(昭和52年)5月5日をもって,船橋ヘルスセンターは完全閉鎖となる.
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その新船橋橋は,塩害などの老朽化のため,橋の架け替えをおこなうことになった. 現在の新船橋橋は,プレテンション方式PC単純床版橋(T桁)となっている. 塩害地域のコンクリート橋の耐用年数は,約50年(それ以外は75年)といわれている. 上り(51.0m,1954年完成)と下り(53.8m,1969年完成)とも架け替えをおこなうが,まずは下り(東側)の橋から先におこなう. 下り(東側)の橋だけで約4.6億円の予算を使う. 両方の橋が完成するのは,2023年(平成35年)になる. まずは,仮設の橋が設置工事をこなっている.
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ここの新船橋橋は,船溜まりと行き来する航路にかかる橋となる. 比較的小さな船しか通過できない. 小規模な漁業は,後継者もなく,高齢化にともない,ここの船溜まりを使う従事者は激減している. 船の管理状況から,実際に稼働している船は20隻程度となっている.