「そりゃないでしょう!」 2014年4月から船橋オート選手会船橋支部長になったばかりのオートレース賞金王永井(37歳)が激怒した. 2014年8月5日(火)夜,船橋オート場で行われた緊急記者会見のことだった.
船橋オートが,2015年度末(2016年3月末)で完全廃止される方向であることが,2014年8月4日(月)に明らかになったからだ. 8月7日(金)に行われる(公)JKA日本自転車振興会+日本小型自動車振興会)の結果を,千葉県と船橋市が共同で会見をおこなう矢先のことだった.
(公)JKAと,千葉県,船橋市との間ではすでに水面下で調整をしていたと考えられ,その情報を何者かがリーク(漏えい)し,それをスポーツ報知がスッパ抜いたものだった.
記者会見で永井は,「何とか存続させたいと,賞金減額による補てん金捻出など,あれこれ知恵を絞っているときに,選手会には何の相談もなく,一方的に廃止決定報道が出てしまった. そりゃないでしょう!.」と訴えたのだ. だが,8月12日(火)千葉県と船橋市(松戸徹船橋市長)は,「公営競技の船橋オートレース事業を2015年度末(2016年3月末)で廃止する」と正式に発表した.
オートレースの始まりは,1950年(昭和25年)5月27日に小型自動車競走法(通産省管轄,現経済産業省)が公布施行されて公営オートレースは始まった.
当初の施行者は,都道府県内1カ所と京都市,大阪市,横浜市,神戸市,名古屋市の大都市に限られたため,船橋市は施行者になれなかった.
▼船橋ヘルスセンター専属女子音楽隊がイベントに参加. ▼1950年10月29日の第1回オートレースと思われる.
1950年(昭和25年)10月29日,全国で初めて千葉県の主催で第1回オートレースが開催された. 当時はまだ,専用の船橋オートレース場はなく,船橋競馬場のダートコースを使っての開催で,コースも舗装化されていなかった.
その後,1954年(昭和29年)6月に小型自動車競走法が改正され,新たにオートレース場が設置された市町村も施行できるようになった. これにより,船橋がオートレース発祥の地とよばれるようになる.
だが,凄まじい爆音により競走馬への影響が大きく,競馬場を使っての施行はできなくなってしまう. 新しいオートレース場設置に対して,船橋市と市川市が手をあげ,激しい誘致合戦を繰り広げた. 結果,すでに実績のあった船橋市と千葉県の共同施行となる.
船橋市には,まだ移転先のめどはなかった. 船橋ヘルスセンター(ららぽーとTOKYO-BAYの前身)を運営していた朝日土地興業は,自動車レースの船橋サーキット場も運営していた.
▼わずか2年で閉鎖に追い込まれた船橋サーキット場.
経営が思わしくなかったサーキット場はすでに閉鎖になっていたが,その施設の一部使って,オートレース場を移転する...続きを読む
船橋オートが,2015年度末(2016年3月末)で完全廃止される方向であることが,2014年8月4日(月)に明らかになったからだ. 8月7日(金)に行われる(公)JKA日本自転車振興会+日本小型自動車振興会)の結果を,千葉県と船橋市が共同で会見をおこなう矢先のことだった.
(公)JKAと,千葉県,船橋市との間ではすでに水面下で調整をしていたと考えられ,その情報を何者かがリーク(漏えい)し,それをスポーツ報知がスッパ抜いたものだった.
記者会見で永井は,「何とか存続させたいと,賞金減額による補てん金捻出など,あれこれ知恵を絞っているときに,選手会には何の相談もなく,一方的に廃止決定報道が出てしまった. そりゃないでしょう!.」と訴えたのだ. だが,8月12日(火)千葉県と船橋市(松戸徹船橋市長)は,「公営競技の船橋オートレース事業を2015年度末(2016年3月末)で廃止する」と正式に発表した.
オートレースの始まりは,1950年(昭和25年)5月27日に小型自動車競走法(通産省管轄,現経済産業省)が公布施行されて公営オートレースは始まった.
当初の施行者は,都道府県内1カ所と京都市,大阪市,横浜市,神戸市,名古屋市の大都市に限られたため,船橋市は施行者になれなかった.
▼船橋ヘルスセンター専属女子音楽隊がイベントに参加. ▼1950年10月29日の第1回オートレースと思われる.
1950年(昭和25年)10月29日,全国で初めて千葉県の主催で第1回オートレースが開催された. 当時はまだ,専用の船橋オートレース場はなく,船橋競馬場のダートコースを使っての開催で,コースも舗装化されていなかった.
その後,1954年(昭和29年)6月に小型自動車競走法が改正され,新たにオートレース場が設置された市町村も施行できるようになった. これにより,船橋がオートレース発祥の地とよばれるようになる.
だが,凄まじい爆音により競走馬への影響が大きく,競馬場を使っての施行はできなくなってしまう. 新しいオートレース場設置に対して,船橋市と市川市が手をあげ,激しい誘致合戦を繰り広げた. 結果,すでに実績のあった船橋市と千葉県の共同施行となる.
船橋市には,まだ移転先のめどはなかった. 船橋ヘルスセンター(ららぽーとTOKYO-BAYの前身)を運営していた朝日土地興業は,自動車レースの船橋サーキット場も運営していた.
▼わずか2年で閉鎖に追い込まれた船橋サーキット場.
経営が思わしくなかったサーキット場はすでに閉鎖になっていたが,その施設の一部使って,オートレース場を移転する...続きを読む