各地の自治体(市町村)で,庁舎(市役所など)の建て替え構想が,相ついで打ち出されている. どこの地方自治体の庁舎も,戦後の高度経済成長時代(1955年から1973年までの約19年間)に建てられたものが多く,築40年ほど経過しているものが多い.
▼海側から見た習志野市(左). ▼現習志野市本庁舎(市役所)と建設予定地の駐車場(右).
例えば,
浦安市庁舎が1974年(昭和49年)に建てられた(竣工).
市川市第1庁舎が1954年(昭和34年),
八代市本庁舎が1972年(昭和47年),
白井市庁舎が1981年(昭和56年),
千葉市本庁舎が1970年(昭和45年),
四街道市本館が1969年(昭和44年),
市原市本庁舎が1972年(昭和47年),
木更津市庁舎が1972年(昭和47年),
銚子市庁舎が1975年(昭和50年),
そして習志野市本庁舎が1964年(昭和39年)となっている.
---いずれの庁舎も,ほぼ同じ時期に建設されている. これらの各自治体の庁舎は,すでに建て替え構想が進行中だ.
▼千葉県習志野市鷺沼1丁目の習志野市市役所
首都東京のベットタウンや工業地帯の自治体であり,庁舎建設当時の想定を超える人口増加によって自治体の業務が増大し,分庁舎として貸しビルなどに入居しているところが多い. 一般的には,コンクリート建造物の耐用年数は65年以上あるといわれるが,2011年3月11日14:46 に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)によって,当初の想定よりも早い建て替えとなっている.
日本の耐震基準は,過去の大地震をモデルにそのつど建築基準法の耐震基準を強化してきた. 最初の耐震基準は,1923年(大正12年)の大正関東地震(関東大震災)を教訓に,1924年(大正13年)に施行された. 国レベルの耐震基準としては世界初となる. そして,1968年の北海道十勝沖地震の被害から1971年(昭和46年)に基準を強化する. その後さらに基準を強化しているので,この1971年の基準を旧耐震基準という.
▼東日本大震災の習志野市内の被害.
1978年の宮城県沖地震の被害から1981年(昭和56年)に耐震基準が大きく改正される. これを,新耐震基準という. つまり,旧耐震基準で建てられた建築物は耐震性(Is値)が不足していて,耐震補強か建て替えが必要となることが多い. なお,船橋市本庁舎は,1982年(昭和57年)に完成しているので新耐震基準で建てられている.
▼東日本大震災の習志野市内の被害.
1981年の新耐震基準に合致した建築物では,1995年の兵庫県南部地震(阪神淡路大震災),2011年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の震度7の揺れがあった地域では,ほとんど被害は見られなかった.
▼東日本大震災の習志野市内の被害. ▼地下の基幹の下水管がふさがれ,行き場を失った下水が地上に噴き出している.
千葉県内で「建て替え構想」を進めている市庁舎の耐震性を見てみると,銚子市庁舎のIs値が 0.13,木更津市庁舎のIs値が 0.2弱,習志野市庁舎のIs値が0.3,市川市庁舎のIs値が 0.33,市原市庁舎のIs値 が0.35,千葉市庁舎のIs値が 0.5,浦安市庁舎のIs値が 0.73となっている.
▼東日本大震災の習志野市内の被害.
一般住宅や学校などのIs値は 0.7以上あればよいとされているが,大震災時の司令塔(災害対策本部)となる市役所本庁舎などは,Is値が 0.9以上必要とされている. 自治体によっては,新庁舎の設計にあたりIs値を 1.2 としているところもある. 小中学校の耐震化対策がひととおり完了し,つぎは自治体が管理する公民館や庁舎の耐震化対策をおこなわなければならないという状況となっている.
▼東日本大震災の習志野市内の被害.
習志野市や浦安市は,東京湾岸の自治体の中でも,最も被害が大きかったところだ. 特に,戦後に埋め立てられた地域で,激しい液状化がおきて多くの民家が傾くなどの被害が出た. 習志野市役所本庁舎(習志野市鷺沼)横に設置されていた震度計でも,14:47 に震度5強を記録していた.
▼東日本大震災の習志野市内の被害.
習志野市湾岸地域の埋め立て地では,液状化によって地下の上水道(約 5400戸が断水)や下水道,ガス管,マンホールなどが浮き上がり,各地でこれらのライフラインが寸断する. これによって,長い期間水洗トイレが使えない状況にいたった.
▼東日本大震災の習志野市内の被害.
東北地方太平洋沖地震による習志野市内の人的被害は,死者1人,負傷者6人(うち1人が重傷者). 避難所は12カ所開設され,2953人が一時避難をした. 保育所で帰宅困難者が出た保育所は14カ所+こども園1カ所で,帰宅困難児童総数は 191人にもなった. 放課後児童会(学童保育)は5カ所で,8人が帰宅困難者となっている. 東京都内などに仕事場を持つ保護者が,所定の時刻までに引き取りができなかったからだ.
また,習志野市の家屋被害は,全壊 9件,大規模半壊 176件,半壊 537件,一部損壊 4505件にもなる. 習志野市本庁舎も,柱,梁,壁,床にヒビ割れ多数発生し窓ガラス破損した. 震災前の耐震指標(Is値)は 0.42 だったが,この地震によってダメージを受け,ひび割れなどによって 0.30 まで低下した. 習志野市役所本庁舎の耐震指標(Is値)が 0.30 になったことにより,このままこの本庁舎での業務は難しいと判断し,京成津田沼駅南口に建つ京成津田沼駅前ビル(習志野市津田沼5丁目)に引っ越した. 2012年(平成24年)9月28日には,習志野市役所本庁舎のお別れ式が行われていた. 本庁舎は,1964年(昭和39年)に完成(竣工)し,築48年だった.
▼立ち入り禁止となった旧庁舎.
京成津田沼駅前ビルは,京成電鉄の操車場跡地に,ザ・クレストホテル津田沼として建てた. 当初は,津田沼グランドホテルとして開業したが,ホテル経営に失敗し,1992年(平成4年)にザ・クレストホテルとなる. ホテル御三家と呼ばれる帝国ホテルのグループホテルとして,ザ・クレストホテルブランドホテルの第1号店となった. 建物は京成電鉄がおこない,そのテナントとして帝国ホテルがホテル運営をおこなっていた.
駅前の一等地ではあったものの,津田沼地区で帝国ホテル並みのサービス(価格)は要求されておらず,帝国ホテルは契約満了(おそらく5年契約×2だったと思われる)で運営から手を引き,ホテルは2002年(平成14年)で閉鎖となっていた. クレストホテル閉館後,京成津田沼駅前ビルは,1階-2階に千葉銀行津田沼駅前支店,スポーツクラブのセントラルフィットネスクラブ習志野(現在はゴールドジム津田沼千葉店)を除いて,約10年間空き家の状態だった.
習志野市は,京成津田沼駅前ビルを5年契約で借り受け,ホテル仕様だった内装を変更して仮庁舎とした. そして,当初の計画通り,習志野市役所本庁舎北側(道路をはさんだ向かい)の市営駐車場(千葉県習志野市鷺沼2丁目)に新本庁舎を建設している. では,市営駐車場は,どのような場所なのだろうか...続きを読む
▼海側から見た習志野市(左). ▼現習志野市本庁舎(市役所)と建設予定地の駐車場(右).
例えば,
浦安市庁舎が1974年(昭和49年)に建てられた(竣工).
市川市第1庁舎が1954年(昭和34年),
八代市本庁舎が1972年(昭和47年),
白井市庁舎が1981年(昭和56年),
千葉市本庁舎が1970年(昭和45年),
四街道市本館が1969年(昭和44年),
市原市本庁舎が1972年(昭和47年),
木更津市庁舎が1972年(昭和47年),
銚子市庁舎が1975年(昭和50年),
そして習志野市本庁舎が1964年(昭和39年)となっている.
---いずれの庁舎も,ほぼ同じ時期に建設されている. これらの各自治体の庁舎は,すでに建て替え構想が進行中だ.
▼千葉県習志野市鷺沼1丁目の習志野市市役所
首都東京のベットタウンや工業地帯の自治体であり,庁舎建設当時の想定を超える人口増加によって自治体の業務が増大し,分庁舎として貸しビルなどに入居しているところが多い. 一般的には,コンクリート建造物の耐用年数は65年以上あるといわれるが,2011年3月11日14:46 に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)によって,当初の想定よりも早い建て替えとなっている.
日本の耐震基準は,過去の大地震をモデルにそのつど建築基準法の耐震基準を強化してきた. 最初の耐震基準は,1923年(大正12年)の大正関東地震(関東大震災)を教訓に,1924年(大正13年)に施行された. 国レベルの耐震基準としては世界初となる. そして,1968年の北海道十勝沖地震の被害から1971年(昭和46年)に基準を強化する. その後さらに基準を強化しているので,この1971年の基準を旧耐震基準という.
▼東日本大震災の習志野市内の被害.
1978年の宮城県沖地震の被害から1981年(昭和56年)に耐震基準が大きく改正される. これを,新耐震基準という. つまり,旧耐震基準で建てられた建築物は耐震性(Is値)が不足していて,耐震補強か建て替えが必要となることが多い. なお,船橋市本庁舎は,1982年(昭和57年)に完成しているので新耐震基準で建てられている.
▼東日本大震災の習志野市内の被害.
1981年の新耐震基準に合致した建築物では,1995年の兵庫県南部地震(阪神淡路大震災),2011年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の震度7の揺れがあった地域では,ほとんど被害は見られなかった.
▼東日本大震災の習志野市内の被害. ▼地下の基幹の下水管がふさがれ,行き場を失った下水が地上に噴き出している.
千葉県内で「建て替え構想」を進めている市庁舎の耐震性を見てみると,銚子市庁舎のIs値が 0.13,木更津市庁舎のIs値が 0.2弱,習志野市庁舎のIs値が0.3,市川市庁舎のIs値が 0.33,市原市庁舎のIs値 が0.35,千葉市庁舎のIs値が 0.5,浦安市庁舎のIs値が 0.73となっている.
▼東日本大震災の習志野市内の被害.
一般住宅や学校などのIs値は 0.7以上あればよいとされているが,大震災時の司令塔(災害対策本部)となる市役所本庁舎などは,Is値が 0.9以上必要とされている. 自治体によっては,新庁舎の設計にあたりIs値を 1.2 としているところもある. 小中学校の耐震化対策がひととおり完了し,つぎは自治体が管理する公民館や庁舎の耐震化対策をおこなわなければならないという状況となっている.
▼東日本大震災の習志野市内の被害.
習志野市や浦安市は,東京湾岸の自治体の中でも,最も被害が大きかったところだ. 特に,戦後に埋め立てられた地域で,激しい液状化がおきて多くの民家が傾くなどの被害が出た. 習志野市役所本庁舎(習志野市鷺沼)横に設置されていた震度計でも,14:47 に震度5強を記録していた.
▼東日本大震災の習志野市内の被害.
習志野市湾岸地域の埋め立て地では,液状化によって地下の上水道(約 5400戸が断水)や下水道,ガス管,マンホールなどが浮き上がり,各地でこれらのライフラインが寸断する. これによって,長い期間水洗トイレが使えない状況にいたった.
▼東日本大震災の習志野市内の被害.
東北地方太平洋沖地震による習志野市内の人的被害は,死者1人,負傷者6人(うち1人が重傷者). 避難所は12カ所開設され,2953人が一時避難をした. 保育所で帰宅困難者が出た保育所は14カ所+こども園1カ所で,帰宅困難児童総数は 191人にもなった. 放課後児童会(学童保育)は5カ所で,8人が帰宅困難者となっている. 東京都内などに仕事場を持つ保護者が,所定の時刻までに引き取りができなかったからだ.
また,習志野市の家屋被害は,全壊 9件,大規模半壊 176件,半壊 537件,一部損壊 4505件にもなる. 習志野市本庁舎も,柱,梁,壁,床にヒビ割れ多数発生し窓ガラス破損した. 震災前の耐震指標(Is値)は 0.42 だったが,この地震によってダメージを受け,ひび割れなどによって 0.30 まで低下した. 習志野市役所本庁舎の耐震指標(Is値)が 0.30 になったことにより,このままこの本庁舎での業務は難しいと判断し,京成津田沼駅南口に建つ京成津田沼駅前ビル(習志野市津田沼5丁目)に引っ越した. 2012年(平成24年)9月28日には,習志野市役所本庁舎のお別れ式が行われていた. 本庁舎は,1964年(昭和39年)に完成(竣工)し,築48年だった.
▼立ち入り禁止となった旧庁舎.
京成津田沼駅前ビルは,京成電鉄の操車場跡地に,ザ・クレストホテル津田沼として建てた. 当初は,津田沼グランドホテルとして開業したが,ホテル経営に失敗し,1992年(平成4年)にザ・クレストホテルとなる. ホテル御三家と呼ばれる帝国ホテルのグループホテルとして,ザ・クレストホテルブランドホテルの第1号店となった. 建物は京成電鉄がおこない,そのテナントとして帝国ホテルがホテル運営をおこなっていた.
駅前の一等地ではあったものの,津田沼地区で帝国ホテル並みのサービス(価格)は要求されておらず,帝国ホテルは契約満了(おそらく5年契約×2だったと思われる)で運営から手を引き,ホテルは2002年(平成14年)で閉鎖となっていた. クレストホテル閉館後,京成津田沼駅前ビルは,1階-2階に千葉銀行津田沼駅前支店,スポーツクラブのセントラルフィットネスクラブ習志野(現在はゴールドジム津田沼千葉店)を除いて,約10年間空き家の状態だった.
習志野市は,京成津田沼駅前ビルを5年契約で借り受け,ホテル仕様だった内装を変更して仮庁舎とした. そして,当初の計画通り,習志野市役所本庁舎北側(道路をはさんだ向かい)の市営駐車場(千葉県習志野市鷺沼2丁目)に新本庁舎を建設している. では,市営駐車場は,どのような場所なのだろうか...続きを読む