室町時代ごろから,天秤棒にざるや桶,木箱などを下げ,生魚や調味料(醤油/七味唐辛子),加工食品(豆腐)などの食品を売り歩く行商(振売/棒手売/ぼてふり)が盛んに行われていた.
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社会が安定した江戸時代になると,江戸の街は当時のロンドンやパリの人口を超える世界一の人口(約100万人/80万人説などもある)となっていた.
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この江戸の街の流通を,これらの行商人がささえていた.
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食品以外にも,朝顔や金魚,鈴虫などと,あらゆるものが販売されていた.
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太平洋戦争(大東亜戦争)の戦前,戦中になると,リヤカーによる生活雑貨やラーメン,石焼き芋などが販売され,現在の移動販売の原形となる. これが屋台へ変化する.
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戦後の食料難の時代には,千葉県の成田や八千代などの農村地から,まだ暗い早朝に京成線の行商専用車両で農作物を売る,野菜行商が盛んになる. 京成電鉄の野菜行商専用列車は,通称「なっぱ電車」ともいわれた.
京成線の行商専用車両に乗り込む千葉のおばちゃん.
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最初の野菜行商の始まりは,1923年(大正12年)の大正関東大震災からといわれている.
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40kg から 80kg にもなる荷物を背負い,東京へと向かった. かすりのモンペに黒い布で包んだ大きなカゴを背負って歩く姿から,通称「カラス部隊」とも呼ばれた. 農家の現金収入となっていた.
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最も行商が盛んだった1955年(昭和30年)から1960年ごろは,国鉄成田線で 2800人,京成線で 2000人を数え,1日2回の東京往復をおこなった. 東京の客からは,千葉のおばちゃん(千葉のおばさん)として親しまれる. だが近年は,高齢化とともに利用者が減少し,1日20人程度になっていたことなどから,2013年3月末で行商専用車両は廃止された.
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そして現代,行商はクルマに変わり,移動販売となり,色いろなものが販売されている. 灯油の巡回販売や物干しざおの販売,平日のオフィス街や工業団地,倉庫街の昼食の弁当が販売されている. 船橋市漁業協同組合の移動販売車「三番瀬みなとや」が移動販売を始めている. 最近はサービスも販売される...続きを読む