東京湾最奥部の三番瀬(さんばんぜ)は,江戸時代から「豊穣(ほうじょう)の海」といわれてきた. その豊かな漁場を巡って,船橋,市川行徳,浦安猫実などはたびたび争いになっていた.
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1782年(天明2年),船橋村の漁民から徳川幕府に三番瀬の入会権を直訴し,御菜浦(おさいのうら)としての地位を得た. 御菜浦になると,幕府に魚貝を献上するかわりに三番瀬で優先して漁業ができた. 御菜浦を得た理由に,もうひとつ説がある.
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紀州(現在の和歌山県と三重県南部)熊野の漁民西宮久助が嵐に遭い,九十九里の浜に漂着(1555年)した. 当時の房総の漁民たちは,イワシ(鰯)を捕る方法をしらなかったが,この西宮久助によって地引網が伝えられた. それだけ,紀州漁法は進んでいた.
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1716年から将軍となった8代将軍徳川吉宗(紀州藩2代藩主徳川光貞の四男)が紀州から優れた漁民を連れてきて船橋村に移住させ,御菜浦の特権を与えたというものだ. 船橋近郊で奥村,奥田などの姓を持つ家系は,先祖が紀州であある可能性がある.
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普段なだやかな東京湾だが,風が吹くと海は大荒れとなる. 1941年(昭和16年)1月20日にも,東京湾にて季節風にともなう突風が吹き荒れ数多くの小型漁船がつぎつぎと遭難し,翌1月21日までの間に死者行方不明27名の水難事故が起きている.
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2013年2月16日(土)には,浦安市の浦安カヌークラブ所属の男女2人が境川でカヌーの練習をしていたところ,東京湾で流されその日は戻らなかった. そして,翌2月17日午前千葉県市原市の海岸で遺体で見つかった水難事故が起きている.
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昔から水難事故を軽軽ンしてきた漁師たちは,豊かな海の幸をもたらす自然を重んじ,信仰心もあつい. 大漁,海上安全を願い神札を船内にまつり,古くから水神祭(すいじんさい)が行われている. 地方によっては,竜神祭という場合もある.
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船橋漁港でも毎年4月3日に水神祭が行われている...続きを読む