東京ベイ船橋ビビット2017-2016-2015-2014

Tokyo-Bay Funabashi-Vivid 2017-2016-2015-2014

江戸時代

地域商店街は活性化するのか@船橋本町駅前通り商店街のアーケードが撤去(2)

江戸時代,外洋から江戸湾(東京湾)に入るためには海の関所に立ち寄って許可をもらう必要があった. それが,浦賀(現,横須賀市)の海の関所「浦賀奉行所」だった. その反対岸になる上総国木更津村(請西藩,現千葉県)と館山藩の船だけは,特例としてこの関所に寄らなくても江戸の日本橋や本所まで直接向かうことができた.
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1615年,江戸幕府(徳川家康と秀忠)と豊臣家との大阪夏の陣の合戦に,請西藩(木更津)の当主林吉忠(はやしよしただ)と水夫など24人らが,河内丹南藩(現,大阪府松原市)隊に属して参戦して活躍した. だが半分の12人が命を落とした. この功績により,請西藩(,現,千葉県木更津市)に,関所免除の特権が与えられた.
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これ以降,木更津(請西藩)は,潮来(いたこ,現茨城県)方面から銚子,太平洋を経由してが江戸に運ぶ荷物(穀類や炭,薪など)の集積地として繁栄することになる. すでに,世界最大の都市となっていた江戸の台所を支える.
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木更津と江戸の間は,「五大力船(ごだいりきぶね)」とよばれる船が行き来されていた. 通称木更津船とも呼ばれた. 五大力船は,大坂などの上方と江戸の消費地を結んだ菱垣廻船(ひがきかいせん/弁才船/貨物船)よりも船体の幅が狭く,8尺(2.4m)から17尺(5.2m)しかない. また,船底から水面までの深さが浅い構造となっている.
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江戸湾では帆を張って推進し,運河(河川)では櫓(ろ)をこいで進む船であった. 運河に入る場合でも,荷を積み替える必要がなかった. 全長は31尺(9.4m)から64尺(19.7m)ほどで,積載量は小型のもので50石(こく),大型で300石から500石程度だった. 1石はおよそ150kgで,大人1人が1年間に食べる米の量となる.
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江戸の本所(現,東京墨田区両国あたり)には木更津河岸という木更津船専用の荷上場があった. 木更津と江戸の間には,定期船が運行され,荷物のみならず人も運んでいた. 夜に江戸を発ち,明け方に木更津に着くような運行をしていた. 荷物と一緒に雑居寝状態だったと思われるが,今でいう夜行バスのようなものだったのだろう. 運航時間は順風の場合で4-5時間,旅籠(はたご)に2食付きで泊まると約200文(1両=4000文として換算すると5000円相当)だったが,船賃も200文ほどでほぼ同じ料金設定となっていた.
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浦安,市川,船橋沖の三番瀬は,最良の漁場となっていた. 船橋は,江戸幕府から特権が与えられ,この三番瀬をほぼ独占していた. そのようなことから,すでに大きな漁港となっていた.
江戸時代の江戸湾(東京湾). 行徳(現,市川市)から見た三番瀬(右).
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木更津からの「五大力船」は,船橋漁港に立ち寄り,ススキや貝,塩などを追加で積み込み,さらに江戸へ向かった...続きを読む

千葉県印西市の花火大会が中止されたワケ

乱世,戦国時代から天下太平(天下泰平)の平和な時代を作り上げたのが,江戸幕府の初代将軍徳川家康だ. ヨーロッパ諸国のほとんどが王や貴族階級による強力な絶対王政(絶対君主制)や封建制を敷き,富と権力を独占していたのに対して,江戸幕府の武士が握っていたのは権力だけだった. この日本独自の幕藩体制(封建制に近い)が,265年間も続く世界でも稀に見る政府となる.
江戸時代の日本橋魚河岸(左). 江戸時代の東海道品川宿(右).
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当時,全国に200あまりの大名(藩主)がいたが,武家を統制するために武家諸法度(1615年)を発し,新規築城の禁止(一国一城),藩同士の政略結婚の禁止,参勤交代の実施(3代将軍家光から)などをおこなって武家を厳しく統制したものの,かなりの権限は各藩などにゆだれられていた. 戦乱に明け暮れていた時代から平和な世の中になり,膨大な戦費を水利事業などの土木作業に振り向けられるようになり,農業生産性も向上していく.
江戸時代の永代橋の風景(左). 江戸時代の下絵国府ノ台(右).
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江戸幕府の財政を支えたのは,各藩から年貢として徴収されるだ. その輸送のために,水道路が整備されていく. 江戸時代初期におこなわれたのが,隅田川から中川を結ぶ運河(水路)の開削で,行徳の浜でできた塩を安全に江戸まで運ぶためのものであった. さらに,東北の各藩からからの米や薪(マキ)や炭の原料となる木材などを積んだ船は,石巻(宮城県)で積み替えして外洋船で太平洋を南下し,房総半島を大廻りして江戸へ入るルートとなる. だが,より安全な銚子から利根川を上流に上り,ふたたび江戸川を下るルートが多用されるようになる.
江戸時代の東北地方(仙台や三陸沖など)からの航路.
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利根川の浅瀬を通過するため,船体は小さく底が平たい高瀬舟に積み替えをおこなうことになる. 舟運の中継地となる船着場(河岸)が,潮来(いたこ,茨城県)や佐原(千葉県)であった. 現在の印西市立木下小学校近隣にあった木下河岸(きおろしがし)でも,東北産米や材木やたきぎなどの津出し(陸揚げ)をおこなっていた. また,銚子に水揚げされた魚貝類もここで津出しされていた.
市川の高台からみた江戸川(利根川)の高瀬舟(左). 江戸川の高瀬舟(左).
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江戸時代前期の利根川は,東京湾(江戸の内海)へ流れていた. 徳川家康が江戸に入り関東地域の開発を行うことから,利根川の流れを銚子の太平洋側に流れるように付け替えるという構想をたてる. これを,利根川東遷(とねがわとうせん)という. 測量の技術も乏しいかったことから何度も失敗し,さらに大災害にも見舞われ,プロジェクトがスタートしてから60年後の1654年(承応3年),利根川常陸川(ひたちがわ)を結ぶ赤堀川(あかぼりがわ)の開削をもって今日の利根川の原型が完成する.
利根川の高瀬舟.
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利根川を太平洋側に引き込むための赤堀川の川幅は,当初7間(12.6m)しかなかった. これからもわかるように,江戸を水害から守るにはほとんど役に立たず,東北(伊達藩)と江戸を結ぶ舟運の開発のためであった. 1809年(文化6年)に赤堀川を40間(約72m)に拡幅させ,利根川洪水を常陸川に流すことができるようになった.
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利根川東遷が完成する前から,銚子と江戸の間の物流はは,舟運陸運を組み合わせてつながっていた. 江戸中期になると,江戸の人口は100万人を超え,江戸前と言われた東京湾(江戸の内海)の魚貝類だけでは供給が間に合わなくなっていて,銚子沖で獲れた大型の魚が求められた. 銚子沖は,親潮と黒潮が接触するので魚が集まり,日本の四大漁場のひとつになっている.
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銚子に水揚げされた魚は,腐らないように血抜きや内臓が取り除かれ,塩や笹の葉に挟むなど防腐処置されて,その日の夕方には銚子を出発. 船は高瀬舟と呼ばれ,4人-6人が乗りこんだ. 利根川約80kmを遡上し,中流の現印西市の木下河岸(きおろしがし)で津出し(陸揚げ)をし,木下街道(きおろしかいどう,現千葉県道59号市川印西線)を使って,印西大森宿-白井宿-鎌ケ谷宿-船橋馬込沢-法典-市川鬼越-八幡宿を経由して旧江戸川ぞいの本行徳河岸までの約9里(約36km)の道のりを馬で陸送する. 1時間あたり 4km で計算すると,約9時間ほど陸送にかかっていたものと思われる.
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さらに,本行徳河岸からふたたび船に乗せ,旧江戸川から中川結ぶ新川運河-中川から隅田川を結ぶ小名木川運河を経由して,日本橋小網町の魚河岸(うおがし)の魚市場まで運んでいた. 積み出してから夜通しで運んで3日目の早朝の朝市で,魚は販売された. 現代の物流システムに似たしくみが,すでに江戸時代にできあがっていた. 木下街道(きおろしかいどう)は,生鮮食品を運んだ道ということから,別名「下総鮮魚街道」,「なま道」などと言われた.
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その印西市木下河岸(きおろしがし)近くの利根川河川敷で,印西市主催の花火大会が2016年8月27日夜に開催された. いや,開催される予定だったが,中止となった. 印西市市制施行20周年記念の花火大会のはずだった. 印西市は,この花火大会のために4000万円を事業費を投じ,8800発を打ち上げ,約6万人の動員を見込んでいた. だが,この花火大会の中止をめぐって,委託先に事業者ともめにもめている...続きを読む

2016年船橋水神祭@船橋漁港

東京湾最奥部の三番瀬(さんばんぜ)は,江戸時代から「豊穣(ほうじょう)の海」といわれてきた. その豊かな漁場を巡って,船橋,市川行徳,浦安猫実などはたびたび争いになっていた.
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1782年(天明2年),船橋村の漁民から徳川幕府に三番瀬の入会権を直訴し,御菜浦(おさいのうら)としての地位を得た. 御菜浦になると,幕府に魚貝を献上するかわりに三番瀬で優先して漁業ができた. 御菜浦を得た理由に,もうひとつ説がある.
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紀州(現在の和歌山県と三重県南部)熊野の漁民西宮久助が嵐に遭い,九十九里の浜に漂着(1555年)した. 当時の房総の漁民たちは,イワシ(鰯)を捕る方法をしらなかったが,この西宮久助によって地引網が伝えられた. それだけ,紀州漁法は進んでいた.
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1716年から将軍となった8代将軍徳川吉宗(紀州藩2代藩主徳川光貞の四男)が紀州から優れた漁民を連れてきて船橋村に移住させ,御菜浦の特権を与えたというものだ. 船橋近郊で奥村,奥田などの姓を持つ家系は,先祖が紀州であある可能性がある.
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普段なだやかな東京湾だが,風が吹くと海は大荒れとなる. 1941年(昭和16年)1月20日にも,東京湾にて季節風にともなう突風が吹き荒れ数多くの小型漁船がつぎつぎと遭難し,翌1月21日までの間に死者行方不明27名の水難事故が起きている.
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2013年2月16日(土)には,浦安市の浦安カヌークラブ所属の男女2人が境川でカヌーの練習をしていたところ,東京湾で流されその日は戻らなかった. そして,翌2月17日午前千葉県市原市の海岸で遺体で見つかった水難事故が起きている.
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昔から水難事故を軽軽ンしてきた漁師たちは,豊かな海の幸をもたらす自然を重んじ,信仰心もあつい. 大漁,海上安全を願い神札を船内にまつり,古くから水神祭(すいじんさい)が行われている. 地方によっては,竜神祭という場合もある.
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船橋漁港でも毎年4月3日に水神祭が行われている...続きを読む
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