習志野市は,「ドイツ式ソーセージ発祥の地」としている. 習志野市とドイツとの関係は古い. 習志野地域(一部船橋市が含まれる)は,「軍郷習志野」として知られ,古くから多くの旧陸軍の施設が集中して設置されていた. そのひとつが,習志野ドイツ人俘虜収容所(ふりょしゅうようじょ)だ.
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1914年(大正3年)8月に第一次世界大戦が勃発した. 日本は日英同盟(1902年調印)に基づき,連合国の一員として参戦(日独戦争)する. 日本陸軍は,ドイツ帝国の租借地であった中華民國(現,中国)山東省の青島(チンタオ)を,約2カ月の攻防戦のあと攻略(1914年11月)する. その青島要塞攻略戦で,ワルデック総督以下約4700名が捕虜となる.
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捕虜は,徳島県の板東俘虜収容所,広島県の似島検疫所俘虜収容所などの収容所に送られた. 千葉県の習志野俘虜収容所(習志野市立東習志野小学校,習志野市東部体育館,習志野市立第四中学校近辺)にも,1000人を超えるドイツ兵捕虜が収容され,1915年9月から1920年1月26日まで約4年半暮らすことになる.
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日本は国際法を遵守し,各地の収容所のドイツ人捕虜に,厳しい抑圧や過酷な労働強制もなく,丁重に扱われた. ドイツ人と日本人との交流も許され,地元住民の間では「ドイツさん」と呼ばれて親しまれるほどだった. 各地の収容所敷地内では,自由に畑を耕し,ビールやワインも醸造され飲酒もできた. 農作業やスポーツ,音楽は格好の暇つぶしとなっていた. そのようなドイツ人からは,数多くの西洋文化や優れた技術が日本に伝えられた.
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たとえば,パン製造技術はのちに敷島製パンとなり,バウムクーヘン製造技術はユーハイム,ソーセージなどの食肉加工技術は日本ハムなどに引き継がれている. 音楽も盛んにおこなわれ,各地でオーケストラが結成され,ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第9番(第九),ヨハン・シュトラウス2世の美しく青きドナウなどが演奏された.
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当時は,アマチュアの慶慮義塾ワグネル・ソサイエティ(1902年),九州帝国大学フィルハーモニー会(1910年),早稲田大学交響楽団(1913年),京都帝国大学学友会音楽部オーケストラ(1916年)が設立されたころになる. 習志野にも,ドイツ人捕虜うによる習志野捕虜オーケストラ(指揮はハンス・ミリエス)が組織された.
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習志野俘虜収容所には,ソーセージ職人だったカール・ヤーンら5人が収容所内でソーセージを製造していた. この秘伝をのソーセージ製法を,農商務省主催の講演会(千葉市で開催)を通じて日本全国の食肉加工業者に伝わることになる. これが,「ドイツ式ソーセージ伝承の地」となる.
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この歴史的事実をもとに,習志野商工会議所などが地域活性化として,当時のレシピを基に現代風にアレンジした「習志野ソーセージ」をご当地グルメのひとつにしようと取り組んでいる. そして,JR津田沼駅南口の津田沼公園(モリシア前)で,習志野ソーセージキックオフイベントが,2016年5月28日(土)-5月29日(日)におこなわれた. 今回は,毎月月末におこなわれている楽市フリーマーケットとの共同開催となっている.
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