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成田街道

葛飾湧水群とは@国道14号ぞい

船橋市と市川市の市境地域あたりの国道14号ぞいに,二子浦の池二子藤の池(藤棚の池)などの湧き水(湧泉)が出る場所がある. この場所は,かつて江戸から成田山参詣への大勢の旅人が歩いた成田街道(千葉街道)として賑わっていた. これらの湧き水で,ひょうたんや竹筒を使った水筒に水を汲み,旅人の喉の渇きを満たしていたに違いない.
葛飾湧水群(湧水)の場所.
20090430_船橋市_葛飾湧水群_湧水_大溜_12020090430_船橋市_葛飾湧水群_湧水_大溜_110
<二子浦の池>
中山法華経寺の南側一帯を二子浦と呼ばれていたことから,この二子浦の池の名がつけられたと思われる. 1993年(平成5年)に国の「エコシティ(都市計画課環境共生モデル都市)」指定を受け,「環境共生まちづくり条例」に基づいて「二子浦の池東中山湧水池保存会」により維持管理されている.
葛飾湧水群の二子浦の池.
20090429_船橋市_葛飾湧水群_二子浦の池_湧水_大溜_0933_DSC0438420090429_船橋市_葛飾湧水群_二子浦の池_湧水_大溜_0933_DSC04386T
湧水が出る場所は,二子浦の池二子藤の池だけではない. 名も付いていないものの含めると,市川市側に8カ所,船橋市側に6カ所以上もある. そのほとんどが成田街道ぞいの下総台地(しもうさだいち)近くに集中している. 下総台地に振った雨が地下水となり,長い時間をかけて成田街道ぞいまで流れてきて,ここで噴き出しているのだ. これらの湧水を,葛飾湧水群という.
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このように,海岸線に湧水が出るという場所は,全国各地にある. 淡水(地下水)と海水(塩水)の比重の違いから,淡水が海水の上に浮いたような状態となる. 海水が一種のクサビのように海岸線につきささり,このクサビの壁に閉ざされた地下水が地表に湧き出てくるのだ. この現象は,「ガイべン・へルッベルグの法則」で説明される.
20090429_船橋市_葛飾湧水群_二子浦の池_湧水_大溜_1113_DSC04637T20090429_船橋市_葛飾湧水群_二子浦の池_湧水_大溜_1113_DSC04638
約7000年ほど前の縄文時代,今よりも海面が10mほど高い時代があった. これを縄文海進(有楽町海進)という. 東京湾が陸地奥深く栃木県まで浸入していた. この時の東京湾を奥東京湾という. その後も,弥生の小海退,平安海進と小規模な海面変化が起きている. 8世紀-12世紀にかけての平安海進では,海面が 4mほど上昇していた. 平安海進では,ほぼ成田街道あたりまで海となっていたと考えられる. この辺に湧水が出たのは,その時代からなのかもしれない.
縄文海進のころの水面(+8m)と貝塚が見つかった場所(左). 平安海進のころの水面(+3m).
20170221_縄文海進_有楽町海進_8m_貝塚の場所_12020170221_平安海進_東京海進_3m_26734
<二子藤の池(藤棚の池)>
二子藤の池(藤棚の池)の名は藤の古木に由来する. 1950年ごろまでは水田の種籾(たねもみ)を浸けて発芽を促すタナヤ(種井)として利用されたことから「タナヤの池」とも呼ばれた.
葛飾湧水群の二子藤の池(藤棚の池).
20090429_船橋市_葛飾湧水群_二子藤の池_湧水_大溜_1112_DSC0462620090429_船橋市_葛飾湧水群_二子藤の池_湧水_大溜_1112_DSC04629
どんなに日照りの続く夏の日でも枯渇しなかった湧水だが,近年の水量はかなり減少している.
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都市化にともない,住宅地が増えて田畑が減ったのと,道路などの舗装で雨の浸透が減ったことにある. また,埋め立てによって海岸線が数キロ先になってしまったことが考えられる.
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二子藤の池に設置されている木製の絵図.
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宮下サービスセンター商店街の川島せともの店は閉店@船橋市宮本2丁目(1)

江戸時代,江戸の人びとの間で成田山信仰が広まり,多くの江戸庶民が成田山新勝寺を訪れていた. 江戸から成田山までは片道3日ほどの道のりで,当時 「アリの行列のよう」と記録されるほど行き来の多い街道だった. 海神村と九日市村,五日市村(本宿)の3村を船橋宿とよばれ,成田街道最大の宿場町として繁栄することになる. のちに,1889年(明治22年)の市制町村制で,この3村が船橋町となる.
1937年_昭和12年_本町通り_中央付近_00621952年_昭和27年_駅前通り交差点_0132
意富比神社(おおひじんじゃ/通称,船橋大神宮)前の道路は,成田街道(現,国道296号)とかつさ道(房総往還/ぼうそうおうかん/千葉街道/現国道14号)の分岐点となっている. かつさ道は江戸湾東岸にそって館山を繋いだ街道で,房総半島の主要街道となっていた. 参勤交代や外国船に対する江戸内湾警備のための道路ととなっていた.
▼1951年(昭和26年)ごろの宮下サービスセンターの納涼盆踊り大会(右).
1940年_昭和15年_船橋大神宮鳥居付近_00801951年_昭和26年_宮下サービスセンターの納涼盆踊り大会_0110
海老川から大神宮までの間を本宿(旧,五日市村)といい,船橋宿の中核となっていた. 戦後は,宮下サービスセンター(商店会名)として,盆踊り大会がおこなわれるほどの勢いのある商店街であった.
20150221_船橋市宮本2_川島ビル解体_ビル建替え_1010_DSC0131020150328_船橋市宮本2_川島ビル解体_ビル建替え_1123_DSC07287
だが,街道中心の街から鉄道中心の街にかわるにつれ,街の中心部は船橋駅前に変わっていく. 現在,船橋本町通りに残る老舗は数少ない. その老舗のひとつだった川島せともの店(千葉県船橋市宮本2丁目川島ビル)が半額の閉店セールをおこなっている.
20150404_船橋市宮本2_川島ビル解体_ビル建替え_1621_DSC0877720150328_船橋市宮本2_川島ビル解体_ビル建替え_1123_DSC07289T
川島せともの店の川島ビルは,解体中になっている...続きを読む

夏の風2014@東船橋日枝神社の祭禮編(7)

船橋市東船橋1丁目の千葉街道沿いに,日枝神社(ひえじんじゃ)がある. この日枝神社祭禮(さいれい)が,2011年7月12日(土)-7月13日(日)におこなわれた.毎年7月第2週の土日に行われている.
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日枝神社境内には,舞台が設置され,ばか面踊りやカラオケなどがおこなわれる. 祭禮は,宮本下宿自治会が主催している.
20140713_船橋市東船橋1_日枝神社_祭禮_成田街道_0923_DSC0998020140713_船橋市東船橋1_日枝神社_祭禮_成田街道_0923_DSC09980T
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冬の風2013-2014@船橋前原御嶽神社正月3日目の初詣編(40)

成田街道わきの船橋市前原東5丁目に,前原御嶽神社(まえはらおたけじんじゃ)がある. ここにも,毎年大勢の地元市民が初詣に来る. 鳥居から拝殿までの参道は160mもある.
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前原御嶽神社の歴史は古く,1676年(延宝4年)の創建といわれている. 以前は蔵王権現(ざおうごんげん)と呼ばれていたが,明治初期の神道国教化政策(神道活動を支援)にともない神教と仏教が完全に分離され,現在の御嶽神社の社名となった.
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千葉県船橋市前原の地は,江戸時代に開拓された. 当時は非常に苦しい生活の時代であったが,開拓地の村人たちの精神的シンボルとして蔵王権現は根付いていた.
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ここの木造蔵王権現三尊立像は,平安時代後期から鎌倉時代前期に制作されたとされている. 何度かの大火により社殿は焼失したが,像は村人たちが守り続けた.
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千葉県と船橋市の有形文化財として1958年(昭和33年)に指定された,
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