江戸時代,江戸の人びとの間で成田山信仰が広まり,多くの江戸庶民が成田山新勝寺を訪れていた. 江戸から成田山までは片道3日ほどの道のりで,当時 「アリの行列のよう」と記録されるほど行き来の多い街道だった. 海神村と九日市村,五日市村(本宿)の3村を船橋宿とよばれ,成田街道最大の宿場町として繁栄することになる. のちに,1889年(明治22年)の市制町村制で,この3村が船橋町となる.
1937年_昭和12年_本町通り_中央付近_00621952年_昭和27年_駅前通り交差点_0132
意富比神社(おおひじんじゃ/通称,船橋大神宮)前の道路は,成田街道(現,国道296号)とかつさ道(房総往還/ぼうそうおうかん/千葉街道/現国道14号)の分岐点となっている. かつさ道は江戸湾東岸にそって館山を繋いだ街道で,房総半島の主要街道となっていた. 参勤交代や外国船に対する江戸内湾警備のための道路ととなっていた.
▼1951年(昭和26年)ごろの宮下サービスセンターの納涼盆踊り大会(右).
1940年_昭和15年_船橋大神宮鳥居付近_00801951年_昭和26年_宮下サービスセンターの納涼盆踊り大会_0110
海老川から大神宮までの間を本宿(旧,五日市村)といい,船橋宿の中核となっていた. 戦後は,宮下サービスセンター(商店会名)として,盆踊り大会がおこなわれるほどの勢いのある商店街であった.
20150221_船橋市宮本2_川島ビル解体_ビル建替え_1010_DSC0131020150328_船橋市宮本2_川島ビル解体_ビル建替え_1123_DSC07287
だが,街道中心の街から鉄道中心の街にかわるにつれ,街の中心部は船橋駅前に変わっていく. 現在,船橋本町通りに残る老舗は数少ない. その老舗のひとつだった川島せともの店(千葉県船橋市宮本2丁目川島ビル)が半額の閉店セールをおこなっている.
20150404_船橋市宮本2_川島ビル解体_ビル建替え_1621_DSC0877720150328_船橋市宮本2_川島ビル解体_ビル建替え_1123_DSC07289T
川島せともの店の川島ビルは,解体中になっている...続きを読む