1887年(明治20年),初代の町長新井甚佐衛門が「この浦(干潟),安かれ」と願を込めて浦安と命名した. そして,浦安が誕生して100 周年を記念する年に,明海大学(めいかいだいがく)浦安キャンパスが開校した. 27年前のことだった.
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JR東京駅から新浦安駅までは,京葉線快速でわずか16分だ. この新浦安駅から徒歩11分の場所が明海大学浦安キャンパスとなる. 明海大学浦安キャンパスがある場所は,遠浅の海だった. この地は,江戸川が運んできた土が堆積(たいせき)した大三角州の一部となっていて,潮が引くと沖合い2km 先まで干潟(ひがた)が現れていた. ハゼ,アサリ,ハマグリなどがよく採れた海だった.
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だが,東京都江戸川区東篠崎本州製紙(現,王子マテリア)江戸川工場からの黒い排水によって水魚介類は捕れなくなっていた. 広葉樹木材からリグニン(木材に 20-30% 含まれる)を抜くために使った亜硫酸アンモニウムや水酸化ナトリウム(苛性ソーダ)の垂れ流しによるものだった. このことがきっかけに,日本初の環境保護法である水質汚濁防止法が成立することになる. 漁業で生計ができなくなった漁民は漁業権を手放し,1960年代後半以降つぎつぎに海(公有海面)は埋立てられていく.
明海大学浦安キャンパスで,2015年10月31日おこなわれた明海祭.
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1968年(昭和43年)6月に,東野,富岡,今川,弁天,鉄鋼通りが誕生(6.77km2). 1971年(昭和46年)8月に,海楽,美浜,入船が誕生(面積8.65km2). 1975年(昭和50年)11月に,舞浜が誕生(11.34km2). 1978年(昭和53年)9月に,日の出,明海(あけみ)が誕生(13.77km2)する.
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浦安市のかつての面積 4.43km2 から,約4倍の 17.30km2 に急拡大する. 大遊園地や住宅団地,都内の鉄鋼業の移転先用途として埋め立てられたが,浦安市はバランスの取れた街にするためにも,大学を誘致したかった. 早稲田大学人間科学部が移転先を探していることから,同じ時期に埋め立てられた幕張新都心とともに浦安市も手をあげる.
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だが,浦安市は幕張新都心に敗れ,幕張新都心も,埼玉県所沢市と,西東京市に取られてしまった. 1981年のことだった. 結局,浦安市念願の誘致大学は城西歯科大学(現,明海大学)となる. 城西歯科大学は,1970年に歯科医の宮田慶三郎によって創設された. 宮田は同時期に,岐阜県瑞穂市に岐阜歯科大学(現,朝日大学)も創設している. では,その資金はどう調達したのだろうか...続きを読む