JR京葉線二俣新町駅から徒歩10分ほどの場所に,二俣地区国家公務員宿舎(略称,二俣官舎,公務員市川宿舎)がある. 1970年(昭和45年)に開校した市川市立二俣小学校と近接し,西船橋駅から南船橋駅へ向かうJR武蔵野線からもよく見える.
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二俣官舎は,約9.3haの敷地に,5階建て30棟が立ち並ぶ. 1969年(昭和44年)に開設された. 開設当時は,まだJR京葉線二俣新町駅(1988年開業)はまだ開業しておらず,西船橋駅まで徒歩(約25分の道のり)で通勤(通学)していた.
1945年ごろの千葉県市川市二俣の二俣地区国家公務員宿舎予定地(左). 1974年ごろの二俣官舎(右).
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二俣官舎は,約9.3haの敷地に,1334戸の規模の大きな官舎となっている. 30棟内訳は,防衛省(自衛隊)が26棟,厚生労働省が2棟,内閣府が2棟を所管していた. 風呂はバランス釜(自然給排気式),エレベーターもない古い団地規格の施設となっている.
1979年ごろの千葉県市川市二俣の二俣地区国家公務員宿舎(左). 1984年ごろの二俣官舎(右).
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この棟の構成からもわかるように,防衛省(自衛隊)の陸海空の機関に勤務する隊員の入居者が多かった. 特に,東京都新宿区市谷本村町の防衛省市ヶ谷庁舎(市ヶ谷駐屯地市ケ谷基地)へ通勤する隊員も多かった. 当時は,市ヶ谷庁舎内に自衛隊幹部学校も併設されていたことから,数年間程度教育訓練する自衛隊員の入居もいた.
2013年ごろの千葉県市川市二俣の二俣地区国家公務員宿舎(左). 2013年ごろの二俣官舎(右).
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小泉純一郎政権時代に,自民党財政改革研究会の政府資産圧縮プロジェクトチーム(2006年)により,政府資産圧縮による財政健全化の方針が出され,約 700兆円の政府資産のうち 112兆1000億円の圧縮(売却)を目指す中間報告をまとめた.
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その方針にともない,今後幹部用宿舎の建設は行わない,国家公務員宿舎は真に公務のために必要な宿舎に限定し福利厚生(生活支援)の目的のものは認めず廃止することなった. ただし,危機管理要員や緊急参集要員などが入居するものを除かれる.
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二俣官舎の場合,防衛省(自衛隊)の自衛隊員の入居が多いことから,この特例に準ずるものと考えられる. この方針は,2009年からの民主党政権に引き継がれ,当時の船橋出身の野田佳彦財務副大臣(のちに内閣総理大臣)が進めることとなる. 二俣官舎は,老朽化が激しく,建て替えの方針で進んでいた.
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2011年(平成23年)12月1日に財務省から公表された「国家公務員宿舎の削減計画」に基づき,2012年(平成24年)11月に公表された廃止となる宿舎のリストに二俣官舎(公務員市川宿舎)がのることとなる. 2015年(平成27年)9月には1334戸全てが退去し,空き家となっていたが,ある事件がおきる...続きを読む