東京湾(江戸内海)最奥部の船橋市沖合いの船橋浦の一部を三番瀬(さんばんぜ)と呼び,今でも魚介類が豊富な良好な漁場だ. 江戸時代,船橋本町通りは御成街道(佐倉道,成田街道)最大の宿場町として,多くの旅籠(はたご)が立ち並び,三番瀬で捕れた新鮮な魚介類がふる舞われていた.
▼1947年(昭和22年)ごろの船橋市本町通り商店街と船橋漁港(左). ▼昭和前期ごろの船橋漁港の船だまり(右).
明治時代に入ると,1894年(明治27年)に総武鉄道の東京本所(現,錦糸町駅)から千葉県佐倉間が開通し,現在の船橋駅が開設される. これにより,宿場町の街から商業の街へと変わっていく.
▼1951年(昭和26年)ごろの船橋駅南口本町駅前通り商店街(左). ▼1952年(昭和27年)ごろの国鉄船橋駅前(右).
船橋駅ができると,船橋本町通り(街道沿い)だけでなく,船橋本町駅前通りも繁華街となっていく. 買い物客はさらに増え,雨の日にも買い物ができるようアーケード(片側式)ができる.
▼1952年(昭和27年)ごろの船橋市本町通り商店街(左). ▼1952年(昭和27年)ごろの国鉄船橋駅前通り商店街(左).
商店街のアーケード(全天候型)発祥の地といえば,1951年に造られた北九州小倉北区の魚町銀天街とされている. だが,片側式アーケードは庇下(ひさしした)として,江戸時代から存在していた. 江戸時代の庇下は,昼間は店舗の一部(私)として,夜間は道(公)として利用され,幕府からも正式な商業空間として認められた.
▼1955年(昭和30年)ごろの船橋駅前通り商店街(左). ▼1957年(昭和32年)ごろの船橋中央公民館前の道路(右).
片側式としては,明治初期に東京銀座に総延長 6000m 以上にもなる煉瓦造の商店街の銀座煉瓦街(大正関東地震で消滅)が建設されている. これが,今日見られる片側式アーケードの原型となる.
▼1958年(昭和33年)ごろの船橋駅前通り商店街(左). ▼1958年(昭和33年)ごろの国鉄船橋駅前通り商店街(右). ▼アーケードができているが,最近のものとは異なり,庇(ひさし)のような構造のようだ(右).
戦後,各地に銀座の名を借りた商店街が増えていく. 日本で初めて銀座の名前を商店街につけたのは,東京品川区にある戸越銀座商店街だ. 船橋も船橋大神宮付近(西参道)に船橋銀座が設置されている.
▼1959年(昭和34年)ごろの船橋本町交差点(左). ▼1959年(昭和34年)ごろの船橋本町通り商店街(右).
1962年(昭和37年)には,船橋本町通りは防災建築街区造成法により日本初の防災建築街区に指定され,防災建築街区造成事業を適用したモデル地域として本町通り(街道沿い)には近代的な鉄筋コンクリート造りのビルが建てられていく.
▼1961年(昭和36年)ごろの船橋駅駅前通り商店街(左). ▼1971年(昭和46年)ごろの船橋駅前通り商店街の船橋スクランブル交差点(右). ▼アーケードができている.
道路は舗装され,クルマと歩道が明確に区別された近代的な道路だった.
日本のアーケード街の多くが昭和の高度成長期に完成し,建築から30年-40年も経過して痛みや劣化が目立つ. デザインも古さを感じさせ,昭和の匂いが残る.
そのようなことから,各地のアーケードは老朽化により相ついで撤去されている. 船橋のアーケード街も,船橋駅前通り商店街と大神宮近くの船橋本町通り商店街(船橋市宮本)の一部のみとなっていた.
そして,船橋駅前通り商店街のアーケードも完全に撤去された.続きを読む
▼1947年(昭和22年)ごろの船橋市本町通り商店街と船橋漁港(左). ▼昭和前期ごろの船橋漁港の船だまり(右).
明治時代に入ると,1894年(明治27年)に総武鉄道の東京本所(現,錦糸町駅)から千葉県佐倉間が開通し,現在の船橋駅が開設される. これにより,宿場町の街から商業の街へと変わっていく.
▼1951年(昭和26年)ごろの船橋駅南口本町駅前通り商店街(左). ▼1952年(昭和27年)ごろの国鉄船橋駅前(右).
船橋駅ができると,船橋本町通り(街道沿い)だけでなく,船橋本町駅前通りも繁華街となっていく. 買い物客はさらに増え,雨の日にも買い物ができるようアーケード(片側式)ができる.
▼1952年(昭和27年)ごろの船橋市本町通り商店街(左). ▼1952年(昭和27年)ごろの国鉄船橋駅前通り商店街(左).
商店街のアーケード(全天候型)発祥の地といえば,1951年に造られた北九州小倉北区の魚町銀天街とされている. だが,片側式アーケードは庇下(ひさしした)として,江戸時代から存在していた. 江戸時代の庇下は,昼間は店舗の一部(私)として,夜間は道(公)として利用され,幕府からも正式な商業空間として認められた.
▼1955年(昭和30年)ごろの船橋駅前通り商店街(左). ▼1957年(昭和32年)ごろの船橋中央公民館前の道路(右).
片側式としては,明治初期に東京銀座に総延長 6000m 以上にもなる煉瓦造の商店街の銀座煉瓦街(大正関東地震で消滅)が建設されている. これが,今日見られる片側式アーケードの原型となる.
▼1958年(昭和33年)ごろの船橋駅前通り商店街(左). ▼1958年(昭和33年)ごろの国鉄船橋駅前通り商店街(右). ▼アーケードができているが,最近のものとは異なり,庇(ひさし)のような構造のようだ(右).
戦後,各地に銀座の名を借りた商店街が増えていく. 日本で初めて銀座の名前を商店街につけたのは,東京品川区にある戸越銀座商店街だ. 船橋も船橋大神宮付近(西参道)に船橋銀座が設置されている.
▼1959年(昭和34年)ごろの船橋本町交差点(左). ▼1959年(昭和34年)ごろの船橋本町通り商店街(右).
1962年(昭和37年)には,船橋本町通りは防災建築街区造成法により日本初の防災建築街区に指定され,防災建築街区造成事業を適用したモデル地域として本町通り(街道沿い)には近代的な鉄筋コンクリート造りのビルが建てられていく.
▼1961年(昭和36年)ごろの船橋駅駅前通り商店街(左). ▼1971年(昭和46年)ごろの船橋駅前通り商店街の船橋スクランブル交差点(右). ▼アーケードができている.
道路は舗装され,クルマと歩道が明確に区別された近代的な道路だった.
日本のアーケード街の多くが昭和の高度成長期に完成し,建築から30年-40年も経過して痛みや劣化が目立つ. デザインも古さを感じさせ,昭和の匂いが残る.
そのようなことから,各地のアーケードは老朽化により相ついで撤去されている. 船橋のアーケード街も,船橋駅前通り商店街と大神宮近くの船橋本町通り商店街(船橋市宮本)の一部のみとなっていた.
そして,船橋駅前通り商店街のアーケードも完全に撤去された.続きを読む