7世紀初め(610年ごろ)の飛鳥時代に,紙はお経などを書き写すものとして,中国から日本に伝えられた. その後,日本でも紙が製造されるようになり,独自の改良が加えられて薄くて丈夫な「和紙」が生まれる.
▼奈良の法隆寺金堂.
当時の紙はまだ高価で,一般庶民が遊びに使えるようなものではなかった. 貴族の間で,贈り物を紙を使ってキレイに包装するために使われる程度であった. 贈答品などにかける「のし紙」も,そのひとつとなる.
これが「おりがみ(おりもの)」の原点と言われ,これらを「儀礼おりがみ」という. その後,「おりがみ」は,日本独自の遊びとして発展する. 日本の「おりがみ」は,今では「ORIGAMI」という言葉で世界で知られるようになっている.
▼ユネスコ無形文化遺産にもなっている手漉き和紙.
「おりがみ」が,庶民の遊びとして子供たちの間で親しまれるようになったのは,江戸時代になってからだ. 「おり鶴」や「やっこ」,「かぶと」などと,,紙でモノの形を折る事を楽しむ「遊戯おりがみ」が生まれる.
▼おりがみの始まりといわれる儀礼折紙.
江戸時代後期に日本へ来た西洋人が,日本人が紙をたくさん使うことに驚いている. 「日本人は紙を使って鼻をかみ,しかも一度で捨ててしまう」との記録するほど,紙使用大国であった.
▼大衆化したおりがみの遊戯折紙.
平和な江戸時代になると,平安時代の絵巻物を起源とした絵入り小説本「草双紙(くさぞうし)」が庶民の間でも見られるようになる. 当時の武士の識字率はほぼ100%であったが,一般庶民は 54% 程度(幕末時)とまだ高くなかった(それでも世界一). ひらがな中心の文章と絵が多く入った絵本は,庶民でも理解できる内容であった.
特に赤本(あかほん)は,絵本として「さるかに合戦」,「したきれ雀(すずめ)」.「ぶんぶく茶釜」などの物語は子どもたちに好まれた. また「鼠(ねずみ)のえんぐみ」など,当時の社会のしくみを教えるための教育的目的で作られたものもあった. すでに,一般庶民の間でも教育に高い意識があったものと思われる.
▼江戸時代の赤本と呼ばれた絵本のしたきれ雀.
江戸時代の子どもの遊びは,それほど多くはなかったが,そのひとつとして「箸遊び」があった. 杉の割り箸4本と,おちょこ(ぐい呑み)1つを使って,四季折々の風物を作るパズル的遊びとなる.
▼江戸時代に流行った箸遊び.
江戸中期の1742年(寛保2年)には,「清少納言の知恵板」という小冊子が出される. パズル形式(シルエットパズル)の遊びの本で,影絵あそびの「知恵板(タングラムの一種)」として販売された. 平安時代の歌人(枕草子)である清少納言(清原氏)がパズルを作ったとは思えないが,当時から賢しい(さかしい:才知がすぐれ判断力ある)女性というイメージであった.
▼清少納言の知恵板.
このように,「箸遊び」や「知恵板」などの知的玩具の延長線上に,「積み木」が生まれたといわれる. 当初は,寺院や住宅建設現場の大工から切れ端を譲り受けた程度のモノだったと考えられる. 乳幼児期に,このような優れた玩具で遊ぶことによって,空間認識力の向上や柔軟な発想,手先の器用さなどがやしなわれたに違いない.
▼清少納言の知恵板.
このような子ども向けの玩具であるが,現代において世界中で愛される玩具のひとつがレゴブロック(LEGO)だ. 特に欧米では,教育玩具(知的玩具)として購入されている. 積み上げて遊ぶ伝統的な木製ブロック(積み木)をもとに,プラスチックでできたミニブロックの玩具となる.
▼英国メカノ社(Meccano)の組み立て型玩具(左). ▼米国エレクター社(Erector)の組み立て型玩具(右).
1932年に創業したデンマークの玩具会社レゴ社が,1949年(昭和24年)に販売を開始した. レゴの語源はデンマーク語の"leg godt"(よく遊べ)からネーミングされた. 米フォーチュン誌も,レゴブロックを「20世紀を代表するおもちゃ」と評している.
▼ラバー・スペシャリティー社のブロック玩具の Bild-O-Brik(左). ▼英国プレモ・ラバー社の MiniBrix(右).
▼レゴブロックの原型といわれる.
実は,このようなブロック玩具はレゴ社の完全なオリジナル商品ではなく,1930年(昭和5年)代初めごろに米国の Erector(エレクター)社や英国の Meccano(メカノ)社の組み立て玩具が最初とされている. さらに,米国ペンシルバニアのラバー・スペシャリティー社(Rubber Specialties Company)の「Bild-O-Brik:1934年」や,英国プレモ・ラバー社(Premo Rubber Company)の「MiniBrix:1935年」で,ほぼ今のような形になった. 最初は,木やゴムで作られていた.
▼英国プレモ・ラバー社の MiniBrix.
そして,英国キッズクラフト社が作った「セルフロッキング・ビルディング・レンガ(Self-locking Building Bricks,1947年)」のレンガで家を作るという玩具が販売され,それをデンマークで木製玩具を作っていたレゴ社がパクる(コピる).
▼レゴランドジャパン名古屋の場所.
もっと歴史をさかのぼれば,サイコロ(ダイス)やドミノ,中国の牌九(パイゴウ)などで遊んでいた子どもたちからヒントを得たのかもしれない. なお,積木の商品化はフリードリヒ・フレーベル社が1838年に考案したとされ,ブロック玩具より遅い.
▼レゴランドジャパン名古屋
このレゴ社の体験型屋外テーマパークが愛知県名古屋市に2017年4月1日(土)にオープンする. それが,日本初の「レゴランドジャパン(LLJ)名古屋」だ. 2016年に7カ所目のレゴランドドバイをオープンし,今回の日本が8番目のレゴランドとなる. 2018年には韓国春川(チュンチョン)にレゴランドコリアを開業する予定がある. 場所は,国際展示場ポートメッセ名古屋(愛知県名古屋市港区金城ふ頭2丁目)の隣りとなる.
レゴランドは,1968年にデンマークに開設したのが始まりで,現在は米国,英国,ドイツ,マレーシアなどに開設している. 日本のテーマパーク運営は,世界最大級の投資会社の米国ブラックストーングループのマーリン・エンターテイメンツ社とレゴ社との合弁会社となるレゴランドジャパン株式会社(持株比率はブラックストーン 70%,レゴ 30%)がおこなう.
マーリン・エンターテイメンツ社は,英国に本社を置くエンターテイメント企業で,全世界23カ国にテーマパークのレゴランドも含め,マダム・タッソーなどのアトラクション施設111カ所,ホテル12カ所,リゾート施設6カ所を運営している. レゴランドは,当初レゴ社が直接運営していたが,本業であるレゴブロックの販売が業績不振になり,2004年12月期に赤字になり,自己資本比率が約6%と危機的な経営となっていた. テーマパークに投資する余裕がなくなり,2005年にブラックストーンに,レゴランドの経営権を3億7500万ユーロで売却している.
レゴランドには,幻の計画があった. それが,レゴランド幕張新都心だ...続きを読む
▼奈良の法隆寺金堂.
当時の紙はまだ高価で,一般庶民が遊びに使えるようなものではなかった. 貴族の間で,贈り物を紙を使ってキレイに包装するために使われる程度であった. 贈答品などにかける「のし紙」も,そのひとつとなる.
これが「おりがみ(おりもの)」の原点と言われ,これらを「儀礼おりがみ」という. その後,「おりがみ」は,日本独自の遊びとして発展する. 日本の「おりがみ」は,今では「ORIGAMI」という言葉で世界で知られるようになっている.
▼ユネスコ無形文化遺産にもなっている手漉き和紙.
「おりがみ」が,庶民の遊びとして子供たちの間で親しまれるようになったのは,江戸時代になってからだ. 「おり鶴」や「やっこ」,「かぶと」などと,,紙でモノの形を折る事を楽しむ「遊戯おりがみ」が生まれる.
▼おりがみの始まりといわれる儀礼折紙.
江戸時代後期に日本へ来た西洋人が,日本人が紙をたくさん使うことに驚いている. 「日本人は紙を使って鼻をかみ,しかも一度で捨ててしまう」との記録するほど,紙使用大国であった.
▼大衆化したおりがみの遊戯折紙.
平和な江戸時代になると,平安時代の絵巻物を起源とした絵入り小説本「草双紙(くさぞうし)」が庶民の間でも見られるようになる. 当時の武士の識字率はほぼ100%であったが,一般庶民は 54% 程度(幕末時)とまだ高くなかった(それでも世界一). ひらがな中心の文章と絵が多く入った絵本は,庶民でも理解できる内容であった.
特に赤本(あかほん)は,絵本として「さるかに合戦」,「したきれ雀(すずめ)」.「ぶんぶく茶釜」などの物語は子どもたちに好まれた. また「鼠(ねずみ)のえんぐみ」など,当時の社会のしくみを教えるための教育的目的で作られたものもあった. すでに,一般庶民の間でも教育に高い意識があったものと思われる.
▼江戸時代の赤本と呼ばれた絵本のしたきれ雀.
江戸時代の子どもの遊びは,それほど多くはなかったが,そのひとつとして「箸遊び」があった. 杉の割り箸4本と,おちょこ(ぐい呑み)1つを使って,四季折々の風物を作るパズル的遊びとなる.
▼江戸時代に流行った箸遊び.
江戸中期の1742年(寛保2年)には,「清少納言の知恵板」という小冊子が出される. パズル形式(シルエットパズル)の遊びの本で,影絵あそびの「知恵板(タングラムの一種)」として販売された. 平安時代の歌人(枕草子)である清少納言(清原氏)がパズルを作ったとは思えないが,当時から賢しい(さかしい:才知がすぐれ判断力ある)女性というイメージであった.
▼清少納言の知恵板.
このように,「箸遊び」や「知恵板」などの知的玩具の延長線上に,「積み木」が生まれたといわれる. 当初は,寺院や住宅建設現場の大工から切れ端を譲り受けた程度のモノだったと考えられる. 乳幼児期に,このような優れた玩具で遊ぶことによって,空間認識力の向上や柔軟な発想,手先の器用さなどがやしなわれたに違いない.
▼清少納言の知恵板.
このような子ども向けの玩具であるが,現代において世界中で愛される玩具のひとつがレゴブロック(LEGO)だ. 特に欧米では,教育玩具(知的玩具)として購入されている. 積み上げて遊ぶ伝統的な木製ブロック(積み木)をもとに,プラスチックでできたミニブロックの玩具となる.
▼英国メカノ社(Meccano)の組み立て型玩具(左). ▼米国エレクター社(Erector)の組み立て型玩具(右).
1932年に創業したデンマークの玩具会社レゴ社が,1949年(昭和24年)に販売を開始した. レゴの語源はデンマーク語の"leg godt"(よく遊べ)からネーミングされた. 米フォーチュン誌も,レゴブロックを「20世紀を代表するおもちゃ」と評している.
▼ラバー・スペシャリティー社のブロック玩具の Bild-O-Brik(左). ▼英国プレモ・ラバー社の MiniBrix(右).
▼レゴブロックの原型といわれる.
実は,このようなブロック玩具はレゴ社の完全なオリジナル商品ではなく,1930年(昭和5年)代初めごろに米国の Erector(エレクター)社や英国の Meccano(メカノ)社の組み立て玩具が最初とされている. さらに,米国ペンシルバニアのラバー・スペシャリティー社(Rubber Specialties Company)の「Bild-O-Brik:1934年」や,英国プレモ・ラバー社(Premo Rubber Company)の「MiniBrix:1935年」で,ほぼ今のような形になった. 最初は,木やゴムで作られていた.
▼英国プレモ・ラバー社の MiniBrix.
そして,英国キッズクラフト社が作った「セルフロッキング・ビルディング・レンガ(Self-locking Building Bricks,1947年)」のレンガで家を作るという玩具が販売され,それをデンマークで木製玩具を作っていたレゴ社がパクる(コピる).
▼レゴランドジャパン名古屋の場所.
もっと歴史をさかのぼれば,サイコロ(ダイス)やドミノ,中国の牌九(パイゴウ)などで遊んでいた子どもたちからヒントを得たのかもしれない. なお,積木の商品化はフリードリヒ・フレーベル社が1838年に考案したとされ,ブロック玩具より遅い.
▼レゴランドジャパン名古屋
このレゴ社の体験型屋外テーマパークが愛知県名古屋市に2017年4月1日(土)にオープンする. それが,日本初の「レゴランドジャパン(LLJ)名古屋」だ. 2016年に7カ所目のレゴランドドバイをオープンし,今回の日本が8番目のレゴランドとなる. 2018年には韓国春川(チュンチョン)にレゴランドコリアを開業する予定がある. 場所は,国際展示場ポートメッセ名古屋(愛知県名古屋市港区金城ふ頭2丁目)の隣りとなる.
レゴランドは,1968年にデンマークに開設したのが始まりで,現在は米国,英国,ドイツ,マレーシアなどに開設している. 日本のテーマパーク運営は,世界最大級の投資会社の米国ブラックストーングループのマーリン・エンターテイメンツ社とレゴ社との合弁会社となるレゴランドジャパン株式会社(持株比率はブラックストーン 70%,レゴ 30%)がおこなう.
マーリン・エンターテイメンツ社は,英国に本社を置くエンターテイメント企業で,全世界23カ国にテーマパークのレゴランドも含め,マダム・タッソーなどのアトラクション施設111カ所,ホテル12カ所,リゾート施設6カ所を運営している. レゴランドは,当初レゴ社が直接運営していたが,本業であるレゴブロックの販売が業績不振になり,2004年12月期に赤字になり,自己資本比率が約6%と危機的な経営となっていた. テーマパークに投資する余裕がなくなり,2005年にブラックストーンに,レゴランドの経営権を3億7500万ユーロで売却している.
レゴランドには,幻の計画があった. それが,レゴランド幕張新都心だ...続きを読む