戦後,ようやく生活が安定してきたころ,日本全国にヘルスセンターが作られていく. ヘルスセンター(health center)を直訳すれば保健所といった意味だが,「health(健康)+center(中心)」をつなげた日本独自の和製英語では,「健康保養施設」といった意味になるだろう. 今なら,「健康ランド」といったところだろうか.
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その先陣を切ったのが,千葉県船橋市の埋め立て地に作られた船橋ヘルスセンターだった. 現在のららぽーとTokyo-Bayの場所となる. 船橋市がガス田のボーリングをおこない,天然ガスとともに温泉も湧き出たことから,大規模な温泉施設を作ることになる. 「12万坪の海辺に1万坪の白亜の温泉デパート」をキャッチフレーズに,1955年(昭和30年)11月3日(木)にオープンした. 今から60年以上も前のことだった.
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船橋ヘルスセンターには,大ローマ風呂などの温泉施設以外にも,遊園地,10万人が一度に遊べるゴールデンビーチ(夏季のみ),100mのスロープを時速60kmですべりおりる大滝すべり(夏季のみ),グラススキー場(夏季以外),ローラースケート場,アイススケート場(冬季のみ),ダンスホール,セスナ機の遊覧飛行,観光海賊船ガリバー号,ゴルフ場,ホテル,劇場,結婚式場,そして52レーンもあるボウリング場などがあり,「娯楽の殿堂」とも言われた.
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当時は子どもも多く,勤務先の親睦を図るための家族同伴の慰安旅行,労働組合や子ども会などによる団体旅行などが頻繁におこなわれていた. まだ,クルマが普及していなかったことと,家族旅行ができるほどの余裕がなかったころだ. 手軽に行ける船橋ヘルスセンターは,日帰りができる人気の観光地だった. 関東圏だけでなく,遠くは静岡や福島からも訪れていた. ピーク時には,全国から年間450万人(月平均37万人)も来場し,東洋一(日本一)のレジャースポットとなっていた.
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船橋ヘルスセンターの施設多くは,東洋初や日本初,関東圏初のものも多かった. ボウリング場も,関東圏初ではなかったものの,千葉県下初だった. 日本中にボウリングブームがくる前の1962年に作られた. 現在の船橋ファミリータウンのあたりになる. ただし,まだボウリングは一般的なものではなかったことから,客の利用は多くなかった. なお,民間ボウリング場第1号は1952年にできた東京ボウリングセンターとなる.
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そこで,船橋ヘルスセンターのボウリング運営のアドバイザーとして,船橋の大実業家滝口長太郎に依頼をし,少しづつ客を開拓していく. 滝口長太郎は,東京中のボウリング場のほとんどに足を運ぶほどのボウリング愛好家でもあった. のちに,ボウリングブームが始まった1968年(昭和43年)には,自らも西船長太郎ボウル(現,ストライカーズ西船ボウル)を開業することになる. 息子もプロライセンスを持っている.
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1970年前後になると,須田開代子や中山律子らの女子プロボウラーが活躍し始め,ボウリングブームの呼び水となる. 1971年にはテレビドラマ「美しきチャレンジャー」(TBS系列)が放送され,日本中が空前のボウリングブームとなる. 手ぶらで手軽に楽しめるスポーツ(余暇)として受け入れられた.
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日本国内のボウリング場は,住宅開発会社などの異業種からの参入もあり凄まじい勢いで増え続け乱立する. 1972年には 3697カ所にもなり,日本の2倍以上の人口となる米国をしのぐボウリング場数となる. ボウリング場前には,朝から長い列ができ4時間待ちも普通だった. 当時は,日本銀行の行き過ぎた金融緩和と列島改造ブームにより地価急騰となっていた.
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だが,1973年(昭和48年)10月6日に勃発した第4次中東戦争によって原油公示価格が70%も引き上げられ,第1次オイルショック(石油危機)が日本を襲う...
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