船橋市と市川市の市境地域あたりの国道14号ぞいに,二子浦の池二子藤の池(藤棚の池)などの湧き水(湧泉)が出る場所がある. この場所は,かつて江戸から成田山参詣への大勢の旅人が歩いた成田街道(千葉街道)として賑わっていた. これらの湧き水で,ひょうたんや竹筒を使った水筒に水を汲み,旅人の喉の渇きを満たしていたに違いない.
葛飾湧水群(湧水)の場所.
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<二子浦の池>
中山法華経寺の南側一帯を二子浦と呼ばれていたことから,この二子浦の池の名がつけられたと思われる. 1993年(平成5年)に国の「エコシティ(都市計画課環境共生モデル都市)」指定を受け,「環境共生まちづくり条例」に基づいて「二子浦の池東中山湧水池保存会」により維持管理されている.
葛飾湧水群の二子浦の池.
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湧水が出る場所は,二子浦の池二子藤の池だけではない. 名も付いていないものの含めると,市川市側に8カ所,船橋市側に6カ所以上もある. そのほとんどが成田街道ぞいの下総台地(しもうさだいち)近くに集中している. 下総台地に振った雨が地下水となり,長い時間をかけて成田街道ぞいまで流れてきて,ここで噴き出しているのだ. これらの湧水を,葛飾湧水群という.
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このように,海岸線に湧水が出るという場所は,全国各地にある. 淡水(地下水)と海水(塩水)の比重の違いから,淡水が海水の上に浮いたような状態となる. 海水が一種のクサビのように海岸線につきささり,このクサビの壁に閉ざされた地下水が地表に湧き出てくるのだ. この現象は,「ガイべン・へルッベルグの法則」で説明される.
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約7000年ほど前の縄文時代,今よりも海面が10mほど高い時代があった. これを縄文海進(有楽町海進)という. 東京湾が陸地奥深く栃木県まで浸入していた. この時の東京湾を奥東京湾という. その後も,弥生の小海退,平安海進と小規模な海面変化が起きている. 8世紀-12世紀にかけての平安海進では,海面が 4mほど上昇していた. 平安海進では,ほぼ成田街道あたりまで海となっていたと考えられる. この辺に湧水が出たのは,その時代からなのかもしれない.
縄文海進のころの水面(+8m)と貝塚が見つかった場所(左). 平安海進のころの水面(+3m).
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<二子藤の池(藤棚の池)>
二子藤の池(藤棚の池)の名は藤の古木に由来する. 1950年ごろまでは水田の種籾(たねもみ)を浸けて発芽を促すタナヤ(種井)として利用されたことから「タナヤの池」とも呼ばれた.
葛飾湧水群の二子藤の池(藤棚の池).
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どんなに日照りの続く夏の日でも枯渇しなかった湧水だが,近年の水量はかなり減少している.
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都市化にともない,住宅地が増えて田畑が減ったのと,道路などの舗装で雨の浸透が減ったことにある. また,埋め立てによって海岸線が数キロ先になってしまったことが考えられる.
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二子藤の池に設置されている木製の絵図.
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