皇居と東京駅の間の一帯の大手町や丸の内,有楽町の3つの町を合わせたエリアを大丸有(だいまるゆう)という. 今や,日本のみならず,世界を代表するビジネスセンター街となっている.
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大丸有エリアは,江戸時代には地方大名の上屋敷が立ち並んでいた.現在の丸ビルあたりが岡山藩池田家上屋敷,丸の内オアゾあたりが熊本藩細川家上屋敷,東京国際フォーラムが土佐藩山内家上屋敷,帝国劇場が鳥取藩池田家上屋敷だった.
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だが,1855年(安政2年)11月11日21:30ごろ安政江戸地震(M6.9-M7.2)発生し,軟弱な地盤だった大名小路(現,大手町,丸の内),本所(現墨田区西部),深川(現,江東区南部)では,地震による揺れが増幅され、建物の倒壊や火災などの被害を引きおこした. 直下型の大地震だった.
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大名小路も,この地震による大火により,かなりの屋敷が焼け落ちた. その後,ここに大名屋敷が建つことはなかった. その後軍用地として使われていたが,1888年(明治21年)に民間に払い下げられることになり,丸の内と神田の土地10万余坪を買い取ったのが三菱だった. 広大な土地から三菱ケ原と揶揄(やゆ)された.
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三菱は,ロンドンの街並みようなビジネス街にしようと,1894年(明治27年)に近代的な赤煉瓦造りの三菱第1号館,1895年(明治28年)には2号館,1896年(明治29年)には3号館を建て,1899年(明治32年)には東京商工会議所もできる. 三菱村の四軒長屋とも呼ばれた.
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今や日本の経済の中心地として,このエリア(120ha)には約4200社の企業と約23万人の就業者が集まっている. 一時は「たそがれの街丸の内」ともいわれたが,2002年に丸ビルが再建された以降,大丸有エリアは新しいビルが建設され,活力と魅力ある街に生まれ変わっている.
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大手町・丸の内・有楽町夏祭り2015がおこなわれ,オフィス街がお祭り会場となっている. 2015年7月24日(金)には,丸の内仲通りにやぐらが立てられ盆踊り会場となった. 各地にはご当地音頭があるが,ここには丸の内音頭がある. 東京音頭の元歌となった音頭だ. 浴衣の着付けや浴衣や下駄などのレンタル(有料2000円)もおこなう...続きを読む