海外へ旅行に行くと,日本との文化の違いにカルチャーショックを受ける. たとえば,「街中にゴミが散乱し汚い」,「トイレがあまりにも汚くて不快」,「東欧の男子用小便トイレの便器の位置が異常に高い」などだ. 逆に,海外から初めて異国の日本に来た外国人も,あまりの文化や風習の差に大きなカルチャーショックを受けている.
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海外旅行者がよく見る旅行専門の「日本」について書き込まれている内容を見ると,「ゴミ箱が少ないのに,都会も田舎でもゴミが落ちていない」,「自動販売機が街中に設置され種類も多い」,「トイレは自動でフタが開き,便座は暖かく,温水洗浄便座が付いている」,「日本人は本当に礼儀正しい」,「鉄道の運行時刻がとにかく正確」などといった感想だ.
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一方で,「日本人は歯のケアに無頓着(歯磨きをしなくて,歯並びや歯の色が悪いわけではないのだが)」,「トイレに石鹸がないころが多く,日本人は手を洗わない(蛇口に触れたくないということもあるが)」,「スクワットトイレ(和式トイレ)の使い方がわからない(最近は日本の小学生も使えないことが多い)」,「レストランなどでトイレなどに行くときに,テーブルにバッグや携帯などを置いていく(安全,安心であるという意味でもあるが)」などと感じているようだ.
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一般的に,途上国よりも先進国の方が「時刻に厳しい(パンクチュアリティ)」が,特に「日本人は時刻にうるさい」といわれる. 鉄道の運行基準が,それぞれの国柄を表している. 他国の鉄道では,30分以上の遅れなどで珍しくもない. 「電車が定時に遅れる」とは,イタリア,フランス,韓国(UIC基準:国際鉄道連合基準)では 15分以上を意味し,それ以内であれば on time だ. 英国は 10分以上,「降りる人が先で,乗る人は後」という公共マナーさえ定着していない国も多い. ヨーロッパいち時刻に厳格だといわれるドイツでさえも 5分以上だ. だが,日本の新幹線では,1分以上をいう. 東海道新幹線の平均な定時遅れの実績は,なんと 0.6分(2006年は 0.3分)となっている. 日本の一般市民から見ても,まさに神業的な仕事ぶりだ.
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日本人の「時刻」や「清潔」へのこだわり」は,いつごろからなのだろうか. 時刻へのこだわりは,それほど古くない. 正確な「時計」が普及してなかったからだ. 江戸時代ごろまでの時間(刻)は,日の出(明け六ッ)から日没(暮れ六ッ)までの日中を6等分して1刻(いっとき)としていた. 季節によっては一刻の長さが違う不定時法だった. 昼夜の長さが同じである春分,秋分のころで,おおよそ1刻は約2時間,半刻(はんとき)は約1時間,四半刻(しはんとき)が約30分となっていた. それ以下の時間の単位はない. 一般人は,おてんとさま(太陽)の高さ(傾き)を見て,おおよその時刻を把握する程度の感覚だった.
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日本人の時刻感覚は,わずか100年ほど前の1900年ころから分単位となった. その背景は,鉄道だった. 日本初の鉄道は新橋-横浜間で1872年に開業したが,まだ駅舎の外部に時計はなかった. まだ,不定時法の時代で,定時法と太陽暦が導入される1973(明治6)年1月1日以降にならないと正確な時計ができないからだ. 2年後の1974(明治7)年にできた大阪の停車場正面には大時計が設置された. 1880年代には,日本各地で鉄道建設が進む. 輸送量と路線数が増え,乗り継ぎなどで正確な運行時刻(定時運行)が必要となってくる. ようやく,国産の蒸気機関車が作れるようになったころになる.
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このころから,1904年から(-1905年)の日露戦争,1914年から(-1918年)の第一次世界大戦,1931年から(-1933年)の満州事変(15年戦争),1937年(-1945年)からの日中戦争(支那事変)などの大きな戦争が続く. 戦争では,分単位の行動が要求された. 軍の作戦行動は時間厳守が絶対だ. その影響で,学校でも遅刻がゆるされない教育が徹底されていく.
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日本人に細かい時間がすぐに浸透していったのは,「日本人というのはどんな時でもルールを守もる」といった下地がすでにあったからなのだろう. 中国の陳寿(ちんじゅ)が書いた歴史書「三国志」の中に,当時の日本の習俗や地理などについて書かれている. 「第30巻烏丸鮮卑東夷伝(うがんせんぴとういでん)」の中に,「倭人(日本人)の条」に,「倭人には盗人は無く,人びと極めておだやか」と書かれている. いわいる「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」の記述だ. このころは,明らかに中国文化が進んでいた. 島国だった日本は外部からの影響が受けにくく,大昔から温和で礼儀正しい独自の文化があったのかもしれない.
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プロイセン王国(現,ドイツ)のハインリヒ・シュリーマンは,幕末の慶応元年(1865年)に(現,中国)と日本を訪れ,その様子を詳細に書き残している. シュリーマン旅行記」だ. 当時の北京(ペキン)の街を歩いて,「ほとんどの通りに,半ばあるいは完全に崩れた家が見られ,ごみクズ,廃棄物などが道路に捨てられ,あちこちに山や谷ができていて不潔」と書かれている. この時,すでにアヘン(麻薬)に侵されていたからかもしれない.
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一方,日本を訪れたシュリーマンは,「この国には平和,行き渡った満足感,豊かさ,完璧な秩序,そして世界のどの国によりもよく耕された土地が見られる」と書いている. さらに,「世界で最も清潔な国民だということに疑いの余地がない」と絶賛といえるぐらいの高い評価をしている.
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このように日本人は,古くから律正しく,熱心で真面目だったのだろう. ヨーロッパ製の銃や時計も短期間でコピーして自国で製造してしまう器用さもあった. 日本で初めて洋式掛時計(ボンボン時計)の製造を企業化したのは東京麻布の金元社といわれている. 1875年(明治8年)のことだ. そして,1887年(明治20年)ころに愛知県に時盛社ができ,このごろから各地で時計工場がつぎつぎにできる. 精工舎(セイコー)も,1892年(明治25年)に東京に設立され,明治後期の時計工場は20社にもなっていて,主要輸出産業のひとつとなっていた.
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世界的に知られているハト時計だが,南にスイス,東にオーストリア,西にフランスと接しているドイツバーデンウュルテンベルク州ベルクイムトリベルク村(標高600m-1038m)の黒い森という場所から制作が始まった. 地理的にも隔離された地域で,長く厳しい冬の間の仕事ととして1640年ごろから始まった. 当初は木と鋼線から作った簡単な時計で,ムーブメント(歯車セット)も木製だったが,徐々に新しい産業へ発展していく.
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実は,ハト時計と言う名は日本での呼び名で,ドイツではカッコー時計と言われている. 日本では,カッコウの別名が閑古鳥といわれ,不景気なときに鳴く鳥で「縁起が悪い」と考えられることから,「カッコウ」から「ハト」に変えられたという(諸説あり). 今では,カッコウ時計といえば「黒い森」と言われるほどになっている. 今は,もう少し凝ったカラクリ時計が数多く作られている.
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現在のカッコー時計スタイルが確立されたのは1783年ごろからで,教会のパイプオルガンの原理を応用した. カッコー時計も,1時間ごとに上部の小さな窓から小鳥が顔を出し,ポッポポッポと時刻の数だけ自動的に鳴き,音だけで時がわかる. 鳴声は,高音と低音の2つのふいご(風を作る装置)により音が出る. フランスのストラスブルグ大聖堂のオンドリ時計を小型化したものと言われている. その後,ドイツの黒い森の職人が隣りのスイスに移り住み,世界で最も高品質な機械式時計が作られるようになる.
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東葉高速線の終着駅東葉勝田台駅≪駅ナンバリング:TR09≫(八千代市)の南改札近くにも,木製の時計がある...
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