1950年に開設された地方競馬の船橋競馬場(船橋ケイバ)は, 2015年8月で65周年を迎える. その船橋競馬場が,ナイター競馬を2016年6月15日(月/千葉県民の日)から開始した. ナイター競馬名は,一般公募によりハートビートナイターとなった.
7レース終了後には,船橋の郷土芸能ばか面おどり(浜町東町内会)のイベントがおこなわれた後,18:00 からオープニングセレモニーが行われた. セレモニーには,松戸徹船橋市長をはじめ左海誠二騎手会長,岡林光浩調教師会長(前,川島正行調教師会長の後任)らがナイター設備のスイッチを押して点灯をした.
▼2015年6月4日時点の船橋競馬場ナイター設備のテスト点灯.
競馬の売り上げが低迷する中,船橋競馬場再生のための念願のナイター設備となる. 地方競馬のナイター設備は,廃止された旭川競馬場を含めると,船橋競馬場が8場目(大井,川崎,ばんえい,門別,高知,園田,船橋),南関東では3場目となる.
ナイター競馬の開催は,仕事帰りのサラリーマンなど,新たなファン層開拓する獲得などが目的だ. 初日から19日までの5日間は入場料無料だったあこともあり,入場者数は前年比(2014年度第3回初日)の 4倍を超え, 1万1320人となった. また,売り上げは前年比 150.3% の7億5146万3100円と,まずまずのスタートを切った.
船橋でのナイター開催は8番目の施行となり,昼間開催との比較で 35% 増の入場者を見込んでいる. ナイター名は一般公募され,ハートビートナイターとなった. 船橋競馬場のナイター化計画は,10年前(1995年)の川崎競馬場のナイター導入時にもあがっている.
かつての南関東4競馬場は,都市型競馬場として売上を伸ばし,中央競馬(JRA)をしのぐ人気があった. だが,1970年後半以降,余暇の多様化などから地方競馬の売り上げは伸び悩む. 和歌山県和歌山市の紀三井寺競馬場が,1988年に廃止へと追い込まれるのを皮切りに,つぎつぎに地方競馬場は経営困難になっていく.
競馬だけでなく,パチンコを含むギャンブル全体の衰退が止まらない. 船橋オートレース場も,2015年度末で廃止することがほぼ確定している. その売上低迷をなんとか脱したのが南関東4競馬場(大井/川崎/船橋/浦和)のひとつ,大井競馬場(東京シティ競馬)だった.
日没後でもレースができる日本初のナイターレース(トゥインクルナイター)を,総工費約50億円をかけて照明設備などの導入を1986年からおこなった. 平日に競馬場行ける競馬ファンは少ない. 仕事帰りのサラリーマンを呼びこみ,新たな客を開拓し売り上げを伸した. 会社の同僚を誘って競馬場へ行くといった新規開拓もできた.
大井競馬場(東京シティ競馬)に続いて,川崎競馬場場がカワサキスパーキングナイターを1995年から開始した. 船橋競馬場もナイター化の計画に上がっていたが,隣りの谷津干潟が,先にラムサール条約登録地に登録(1993年6月)されたことなどから実現できなかった.
同じ(株)よみうりランドの経営ということで,多額なナイター設備のための投資を川崎競馬場(60億円)と同時に進めることができなかった経営的な成約もあった...続きを読む
7レース終了後には,船橋の郷土芸能ばか面おどり(浜町東町内会)のイベントがおこなわれた後,18:00 からオープニングセレモニーが行われた. セレモニーには,松戸徹船橋市長をはじめ左海誠二騎手会長,岡林光浩調教師会長(前,川島正行調教師会長の後任)らがナイター設備のスイッチを押して点灯をした.
▼2015年6月4日時点の船橋競馬場ナイター設備のテスト点灯.
競馬の売り上げが低迷する中,船橋競馬場再生のための念願のナイター設備となる. 地方競馬のナイター設備は,廃止された旭川競馬場を含めると,船橋競馬場が8場目(大井,川崎,ばんえい,門別,高知,園田,船橋),南関東では3場目となる.
ナイター競馬の開催は,仕事帰りのサラリーマンなど,新たなファン層開拓する獲得などが目的だ. 初日から19日までの5日間は入場料無料だったあこともあり,入場者数は前年比(2014年度第3回初日)の 4倍を超え, 1万1320人となった. また,売り上げは前年比 150.3% の7億5146万3100円と,まずまずのスタートを切った.
船橋でのナイター開催は8番目の施行となり,昼間開催との比較で 35% 増の入場者を見込んでいる. ナイター名は一般公募され,ハートビートナイターとなった. 船橋競馬場のナイター化計画は,10年前(1995年)の川崎競馬場のナイター導入時にもあがっている.
かつての南関東4競馬場は,都市型競馬場として売上を伸ばし,中央競馬(JRA)をしのぐ人気があった. だが,1970年後半以降,余暇の多様化などから地方競馬の売り上げは伸び悩む. 和歌山県和歌山市の紀三井寺競馬場が,1988年に廃止へと追い込まれるのを皮切りに,つぎつぎに地方競馬場は経営困難になっていく.
競馬だけでなく,パチンコを含むギャンブル全体の衰退が止まらない. 船橋オートレース場も,2015年度末で廃止することがほぼ確定している. その売上低迷をなんとか脱したのが南関東4競馬場(大井/川崎/船橋/浦和)のひとつ,大井競馬場(東京シティ競馬)だった.
日没後でもレースができる日本初のナイターレース(トゥインクルナイター)を,総工費約50億円をかけて照明設備などの導入を1986年からおこなった. 平日に競馬場行ける競馬ファンは少ない. 仕事帰りのサラリーマンを呼びこみ,新たな客を開拓し売り上げを伸した. 会社の同僚を誘って競馬場へ行くといった新規開拓もできた.
大井競馬場(東京シティ競馬)に続いて,川崎競馬場場がカワサキスパーキングナイターを1995年から開始した. 船橋競馬場もナイター化の計画に上がっていたが,隣りの谷津干潟が,先にラムサール条約登録地に登録(1993年6月)されたことなどから実現できなかった.
同じ(株)よみうりランドの経営ということで,多額なナイター設備のための投資を川崎競馬場(60億円)と同時に進めることができなかった経営的な成約もあった...続きを読む