東葉高速線(本社,八千代市)は,西船橋駅から勝田台駅までの 16.2km,(きっぷ運賃630円)の鉄道だ. 1996年(平成8年)に開業した. 千葉県や船橋市,八千代市などが出資するを通過するる第三セクター鉄道だ.
▼千葉県船橋市夏見5丁目あたりを走る東葉高速線.
帝都高速度交通営団(東京メトロ)東西線(地下鉄5号線)は,1964年(昭和39年)の都市交通審議会答申にて,中野方面より大手町,浦安,行徳を経て西船橋で総武線に接続する答申が出された. すでに限界が見えてきた,総武線と中央線のバイパス線として計画された.
そして,1972年(昭和47年)の答申にて,東西線(地下鉄5号線)の延伸先を勝田台に改められ,営団勝田台線と変更された.
だが,帝都高速度交通営団(東京メトロ)が東京都でもない地に新路線を持つことに難色を示したことと,京成電鉄が猛反対したことから,第三セクター方式で事業を進めることになった.
▼1868年ごろ(明治初期)の東葉高速鉄道東海神駅周辺(左). ▼1945年ごろの東葉高速鉄道東海神駅周辺(右).
▼1974年ごろ(明治初期)の東葉高速鉄道東海神駅周辺(左). ▼1988年ごろの東葉高速鉄道東海神駅周辺(右).
当時の京成電鉄は,新東京国際空港(現,成田国際空港)関連事業に巨額の投資をしたものの,開港が大幅に遅れたことから累積赤字が100億円(最終的には281億円に達する)を抱えていた. 平行して走る京成本線から,乗客が奪われることに懸念しての反対だった.続きを読む
▼千葉県船橋市夏見5丁目あたりを走る東葉高速線.
帝都高速度交通営団(東京メトロ)東西線(地下鉄5号線)は,1964年(昭和39年)の都市交通審議会答申にて,中野方面より大手町,浦安,行徳を経て西船橋で総武線に接続する答申が出された. すでに限界が見えてきた,総武線と中央線のバイパス線として計画された.
そして,1972年(昭和47年)の答申にて,東西線(地下鉄5号線)の延伸先を勝田台に改められ,営団勝田台線と変更された.
だが,帝都高速度交通営団(東京メトロ)が東京都でもない地に新路線を持つことに難色を示したことと,京成電鉄が猛反対したことから,第三セクター方式で事業を進めることになった.
▼1868年ごろ(明治初期)の東葉高速鉄道東海神駅周辺(左). ▼1945年ごろの東葉高速鉄道東海神駅周辺(右).
▼1974年ごろ(明治初期)の東葉高速鉄道東海神駅周辺(左). ▼1988年ごろの東葉高速鉄道東海神駅周辺(右).
当時の京成電鉄は,新東京国際空港(現,成田国際空港)関連事業に巨額の投資をしたものの,開港が大幅に遅れたことから累積赤字が100億円(最終的には281億円に達する)を抱えていた. 平行して走る京成本線から,乗客が奪われることに懸念しての反対だった.続きを読む