全国の有名駅弁(「駅売り弁当」の略)を集めて販売する,京王百貨店の駅弁大会や,東京駅や各駅のエキナカ商業施設でおこなわれる駅弁フェアには多くの鉄道ファンや駅弁ファンが訪れる.
原則当日中に売り切ることになるため,数に制限があることが多く,人気の駅弁は入荷して数時間で売り切れになることもある. 今の長旅は,ほぼ新幹線となっているが,駅弁は日本特有の食文化として,今も生き残っている.
そもそも駅弁の始まりは,明治時代の鉄道敷設労働者向けの給食支給に始まり,1885年(明治18年)に日本鉄道(日本初の私鉄だったが,のちに国鉄に吸収)の宇都宮駅(栃木県)で,白木屋旅館(現,山口県長門市に本部を置く白木屋グランドホテル)が一般客向けに販売した「おにぎり2個とタクアンのセット」が元祖(諸説あり)とされている.
▼JR東京駅エキナカの駅弁屋で販売されている駅弁.
上野停車場(上野駅)が改築(新築)され,あわせて上野から大宮駅までだった路線が,1885年(明治18年)7月に宇都宮駅まで延伸した祝いのイベントだった. 1885年(明治18年)10月には,信越線(信越本線)の高崎駅-横川駅間の開通したが,宇都宮駅で話題となった「おにぎり駅弁」が横川駅でも販売される.
▼1897年(明治30年)ごろの日本鉄道の上野駅初代駅舎.
そして,1887年(明治20年)7月に開業した東海道線国府津駅(神奈川県小田原市国)でも販売. 1889年に姫路駅(神戸県姫路市). 1890年には一ノ関駅(岩手県一関市)と黒沢尻駅(岩手県北上市)と,つぎつぎに駅弁は広がっていく.
▼2代目上野駅.
最初の駅弁の価格は 5銭(0.05円)で,現在の物価に換算すると 600円程度だった. 「おにぎり2個とタクアン」というメニューとしては少し高価だったように思える. 初めての食堂車(山陽鉄道)が登場したのは,1899年(明治32年)になってからとなる. 1904年(明治37年)の日露戦争のころになると,軍隊が演習や出征などで移動するときに,鉄道車内での食事として駅弁が利用されるようになり,軍弁(軍用弁当)と呼ばれた.
▼初代大宮駅.
東北本線の黒磯駅(現,栃木県那須塩原市)には,多種多様な有名駅弁があった. 黒磯駅は,関東圏の直流と東北圏の交流との切り替え駅であったことから,それぞれの専用機関車に交換しなければならず,そのためにほぼ全ての電車が黒磯駅で停車していた.
▼直流用電気機関車EF60(左). ▼交流用電気機関車ED75(右).
その機関車交換の待ち時間を使って,駅弁立ち売り子(駅弁販売員)が駅弁を販売をする. 今でも黒磯駅の駅弁として,元祖高木弁当の高原肉めし,フタバ食品の九尾の釜めしなどは人気がある.
しかし,直流電化区間と交流電化区間の双方を走行できる交直流電車(交流直流両用電車)が開発され,電車を停車させることなく交流と直流の切り替えデッドセクションを通過できるようになった. さらに,長距離旅行が新幹線に移ったこと,安価なコンビニ弁当を車内に持ち込むことが多くなったことなどから,昔ながらの駅弁の需要は激減する. 2005年には,黒磯駅の駅弁は完全に販売中止した.
千葉県内においても,現在駅弁を取り扱っている駅は,総武本線千葉駅,内房線木更津駅,内房線館山駅,内房線安房鴨川駅など8駅のみとなっている. 時代の流れとはいえ,駅ホームでの立ち売り子はほぼ絶滅し,今駅弁が一番売れているのはデパートの催事場という時代となってしまった.
▼羽田空港の空弁.
一方で,飛行機内で食べる空弁(そらべん)が話題となっている. 航空運賃の低価格化の流れの中,国内線の機内食サービスは無くなりつつある. そのようなことから,機内に弁当を持ち込む搭乗客が増えている. 弁当は,国内線は制限なく持ち込むことができるが,国際線の場合は持ち込めない場合もある. カレーやキムチ,餃子などと,水物や強い臭い(匂い)を出すものは断られる場合がある.
▼JR船橋駅の改札外高架下ショッピングセンターの船橋シャポー.
このような駅弁だが,海外からの訪日旅行客(インバウンド)の間でも,日本の食文化の「EKIBEN」の知名度があがっている. 中国国内の高速鉄道(新幹線)にも,日本式駅弁が販売されているが,チャーハンの価格が6人民元(約97円)に対して35元(約560円)もするため,「ボッタクリすぎる」として人気はいまひとつとなっている.
そのような駅弁だが,今は東京駅など限られた場所でしか買うことができない. それに代わるように,都市部の乗客数の多い駅には,駅直結のショッピングセンターが拡大していく...続きを読む
原則当日中に売り切ることになるため,数に制限があることが多く,人気の駅弁は入荷して数時間で売り切れになることもある. 今の長旅は,ほぼ新幹線となっているが,駅弁は日本特有の食文化として,今も生き残っている.
そもそも駅弁の始まりは,明治時代の鉄道敷設労働者向けの給食支給に始まり,1885年(明治18年)に日本鉄道(日本初の私鉄だったが,のちに国鉄に吸収)の宇都宮駅(栃木県)で,白木屋旅館(現,山口県長門市に本部を置く白木屋グランドホテル)が一般客向けに販売した「おにぎり2個とタクアンのセット」が元祖(諸説あり)とされている.
▼JR東京駅エキナカの駅弁屋で販売されている駅弁.
上野停車場(上野駅)が改築(新築)され,あわせて上野から大宮駅までだった路線が,1885年(明治18年)7月に宇都宮駅まで延伸した祝いのイベントだった. 1885年(明治18年)10月には,信越線(信越本線)の高崎駅-横川駅間の開通したが,宇都宮駅で話題となった「おにぎり駅弁」が横川駅でも販売される.
▼1897年(明治30年)ごろの日本鉄道の上野駅初代駅舎.
そして,1887年(明治20年)7月に開業した東海道線国府津駅(神奈川県小田原市国)でも販売. 1889年に姫路駅(神戸県姫路市). 1890年には一ノ関駅(岩手県一関市)と黒沢尻駅(岩手県北上市)と,つぎつぎに駅弁は広がっていく.
▼2代目上野駅.
最初の駅弁の価格は 5銭(0.05円)で,現在の物価に換算すると 600円程度だった. 「おにぎり2個とタクアン」というメニューとしては少し高価だったように思える. 初めての食堂車(山陽鉄道)が登場したのは,1899年(明治32年)になってからとなる. 1904年(明治37年)の日露戦争のころになると,軍隊が演習や出征などで移動するときに,鉄道車内での食事として駅弁が利用されるようになり,軍弁(軍用弁当)と呼ばれた.
▼初代大宮駅.
東北本線の黒磯駅(現,栃木県那須塩原市)には,多種多様な有名駅弁があった. 黒磯駅は,関東圏の直流と東北圏の交流との切り替え駅であったことから,それぞれの専用機関車に交換しなければならず,そのためにほぼ全ての電車が黒磯駅で停車していた.
▼直流用電気機関車EF60(左). ▼交流用電気機関車ED75(右).
その機関車交換の待ち時間を使って,駅弁立ち売り子(駅弁販売員)が駅弁を販売をする. 今でも黒磯駅の駅弁として,元祖高木弁当の高原肉めし,フタバ食品の九尾の釜めしなどは人気がある.
しかし,直流電化区間と交流電化区間の双方を走行できる交直流電車(交流直流両用電車)が開発され,電車を停車させることなく交流と直流の切り替えデッドセクションを通過できるようになった. さらに,長距離旅行が新幹線に移ったこと,安価なコンビニ弁当を車内に持ち込むことが多くなったことなどから,昔ながらの駅弁の需要は激減する. 2005年には,黒磯駅の駅弁は完全に販売中止した.
千葉県内においても,現在駅弁を取り扱っている駅は,総武本線千葉駅,内房線木更津駅,内房線館山駅,内房線安房鴨川駅など8駅のみとなっている. 時代の流れとはいえ,駅ホームでの立ち売り子はほぼ絶滅し,今駅弁が一番売れているのはデパートの催事場という時代となってしまった.
▼羽田空港の空弁.
一方で,飛行機内で食べる空弁(そらべん)が話題となっている. 航空運賃の低価格化の流れの中,国内線の機内食サービスは無くなりつつある. そのようなことから,機内に弁当を持ち込む搭乗客が増えている. 弁当は,国内線は制限なく持ち込むことができるが,国際線の場合は持ち込めない場合もある. カレーやキムチ,餃子などと,水物や強い臭い(匂い)を出すものは断られる場合がある.
▼JR船橋駅の改札外高架下ショッピングセンターの船橋シャポー.
このような駅弁だが,海外からの訪日旅行客(インバウンド)の間でも,日本の食文化の「EKIBEN」の知名度があがっている. 中国国内の高速鉄道(新幹線)にも,日本式駅弁が販売されているが,チャーハンの価格が6人民元(約97円)に対して35元(約560円)もするため,「ボッタクリすぎる」として人気はいまひとつとなっている.
そのような駅弁だが,今は東京駅など限られた場所でしか買うことができない. それに代わるように,都市部の乗客数の多い駅には,駅直結のショッピングセンターが拡大していく...続きを読む