日本の実業家堤康次郎(つつみやすじろう)の三男堤義明(つつみよしあき)は,父からコクド(国土計画),西武鉄道グループを引き継いだ. 1971年に西武鉄道のホテル部門を独立させて(株)プリンスホテルを設立し,バブル景気時に首都圏や北海道,東北を中心に大規模なスキーリゾートやシティホテルを数多く造りまくる. 米国経済誌フォーブス調査の世界長者番付に1987年から6回も第1位になっている.
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千葉市の東京湾岸沿いの幕張プリンスホテル(略称,幕プリ)は,千葉県企業庁が造成した幕張新都心の中心施設として誘致された. 土地は,約80億円(4万5000m2)で1987年に購入する. 当初の幕張プリンスホテルの計画は,1期が地上37階建て500室,2期が14階建て300室,3期が47階700室(センター棟)構成で,ホテルを3棟建てる予定だった.
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その後設計変更され,47階建て超高層タワー型ホテル1棟(1001室)と宴会場となるホール棟に変更される. タワー型ホテルは日本で最高層の 180m となる. 1989年10月の幕張メッセ(国際展示場)のオープンにあわせて,幕張プリンスホールがオープン,遅れて1993年4月にホテル棟のがオープンする. 幕張プリンスホテルの建設に,約 580億円の巨費を投じた.
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だが,1991年(平成3年)のバブル崩壊後,株価や不動産価格が暴落し,堤義明のワンマン経営だった西武王国は崩れ始める. 2004年には,有価証券報告書の実質持株比率に虚偽記載されていることが発覚し,堤義明は表舞台からしりぞく.
アパホテル&リゾート東京ベイ幕張になった後に2014年に増築されたウェストウィング(西館).
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さらに,2005年には,証券取引法違反で逮捕される. かつては3兆円の資産家とまで言われた堤義明だったが,元秘書などの2人の愛人とともに54億円で西武グループから完全に縁切りされる. 西武グループを興した堤康次郎の遺訓「家督を継ぐ者は堤家を永遠に繁栄させるべし」は守れなかった.
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幕張プリンスホテルは,西武グループの借入金返済のため,都市型ビジネスホテルを展開していたアパホテルグループに約132億円で譲渡(売却)され,2006年6月30日をもって幕張プリンスホテルは営業終了する. そして,翌7月1日にAPAホテル&リゾート<東京ベイ幕張>と名前を変えて再オープンとなる.
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幕張プリンスホテル時代には修学旅行の宿泊と幕張メッセのイベント時の宿泊先程度にしか使われていなかったため稼働率はよくなかった. アパホテルに変わってからは,東京ディズニリゾート客の宿泊,海外旅行者の宿泊先などに使われるようになり,稼働率はあがってきている.
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APAホテル&リゾート東京ベイ幕張のセントラルタワーの西側に,当初計画にあったウェストウィング(西館)が増築,500室が2014年に追加されて,合計客室数は 1501室となる.
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さらに,セントラルタワーの東側で工事をおこなっている...続きを読む