JR東日本の山手線(やまのてせん)は,首都東京を支える環状型の路線だ. 駅数は 17駅だが,田端駅-品川駅間(東北本線+東海道本線)を含めると 29 駅となる. ラインカラーはウグイス色(国鉄黄緑6号),路線距離 34.5km,品川駅を起点として新宿池袋方面が外回り,品川駅を起点として東京上野方面が内回り,一周約64分となっている.
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日本は世界的にみても鉄道王国で,1日平均乗降客数の上位23位までを日本の駅が独占する. 山手線は,世界で一番乗降客の多い路線となっている. その29駅中,もっとも多い1日平均乗降客数ベスト5の駅(2012年)は,新宿駅(149万人),池袋駅(110万人),渋谷駅(82万人),東京駅(80万人),品川駅(66万人)となっている.
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だが,上位3駅の新宿駅,池袋駅,渋谷駅は少しずつ減少している. 2007年比の増加率ベスト5でみると,日暮里駅(123%),大崎駅(120%),新大久保駅(115%),秋葉原駅(108%),田端駅(104%)となっている. 日暮里駅が増えているのは日暮里舎人ライナーの利用客数が増えたため,秋葉原駅つくばエクスプレスの利用客数が増えたためだ.
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秋葉原駅周辺は,戦後のヤミ市からラジオ部品の街となり,家電の街,パソコンの街へと変化し,現在はオタク文化の聖地として国内ばかりか海外からも多くの人々が訪れる街となっている. その秋葉原(あきはばら)のメイン通りの南側には,神田川に架かる万世橋がある. 万世橋は,秋葉原や神田の街の変化を長年みつめてきた.
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水運(海上交通)が盛んだった江戸時代,神田川ぞいの外神田周辺は米問屋や青物(野菜)問屋などが数多くあった. 鉄道の時代になってからは,現在のヨドバシカメラとと駅前ロータリー(旧,秋葉原貨物駅)のあたりには,大きな船溜りが作られ,東北地方から貨物列車で運ばれてきた米や穀物などを,ここで小さな船に載せ替え,川や運河を使って各街の問屋に運んでいた.
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1872年(明治5年).新橋駅(汐留)-横浜駅(桜木町)間で汽車が走ったのが,日本の鉄道営業の始まりだ. 速度は約 33km/h で,所要時間は約 53分だった. 続いて,1883年(明治16年)7月上野駅-熊谷駅間が開業. 1885年(明治18年)3月,品川駅-渋谷駅-新宿駅-板橋駅-赤羽駅間が開業と,関東圏の鉄道はつぎつぎに開業されていく.
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1890年(明治23年)11月,上野駅-秋葉原駅間の貨物専用線が開通し秋葉原駅が開業する. 当時は,船から荷揚げされた荷物を貨物列車に積みなおすための駅だった.
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そして,1889年(明治22年)4月に立川駅-新宿駅間を開通させた甲武鉄道(私鉄)は,1912年(明治45年)4月新宿駅-万世橋駅間を開通させた.
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初代万世橋駅は,東京駅と同じ辰野金吾(たつのきんご)による設計で,赤レンガ造りの豪華な造りとなっていた. 当時,東京駅はまだできておらず,路面電車の接続駅となっていた万世橋駅は,日本一の乗客数を誇っていた.
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1914年(大正3年)12月東京駅が開業し,1919年(大正8年)3月万世橋駅東京駅間が開通,中央本線の始発ターミナル駅の機能は東京駅に移った.
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1925年(大正14年)11月,上野駅-神田駅間が完成し,秋葉原駅は旅客駅となる.
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東京駅神田駅が開業したことにより,万世橋駅乗客数は年々減っていく.
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1923年(大正12年)9月1日の関東大震災(大正関東地震/M7.9)で,駅舎は焼失してしまった. 1925年(大正14年)11月神田駅-上野駅間が開業して山手線は環状化する. その後,万世橋駅の駅舎は再建されたが,1943年(昭和18年)役目を終えて廃駅となる.
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そして,万世橋駅の基礎を流用して交通博物館が造られた. だが,老朽化のために,ファンに惜しまれつつ2006年5月14日をもって70年の歴史の幕を閉じた. 新しい交通博物館は,さいたま市にに移転している.
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その後,ここは,どのようになったのだろうか...続きを読む