かつて,南船橋地区に温泉を主とした総合レジャー施設があった。それが,船橋ヘルスセンターだ。首都圏には,箱根や熱海,草津などの有名温泉地が多数あるが,日帰りできる手軽な温泉地として,戦後間もない1955年(昭和30年)11月3日に誕生した。
▼1965年(昭和40年)ごろの船橋ヘルスセンター。
船橋ヘルスセンターは,天然ガス(炭化水素ガス)の掘削時に,ガスとともに出てきた温泉を活用した。約1000mからくみ上げた温泉は,29℃だった(現在の温泉の定義では,温度が25度以上ないといけない)。「日本一大きい,日本一面白い,日本一安い,温泉と海と娯楽の大デパート」をテーマに,温泉施設のみならず遊園地も併設されていた。
▼1973年(昭和48年)ごろの船橋ヘルスセンター。
現在の健康ランドやスーパー銭湯に近いが,それをはるかに超える規模の施設だった。1966年開業の常磐ハワイアンセンター(現,スパリゾートハワイアンズ)は,この船橋ヘルスセンターを参考にしたといわれる。
▼1974年(昭和44年)ごろの船橋ヘルスセンター。
船橋ヘルスセンターは,朝日土地興業の丹沢善利が開発運営した。丹沢は山梨県(甲州)出身実業家で,日蘭貿易会社を設立し,鉄くずの南洋貿易で成功した。千葉日報社長も務めたことがあるが,のちに朝日土地興業は三井不動産に吸収合併される。
▼船橋ヘルスセンター内の遊覧飛行用のセスナ機。
船橋ヘルスセンター内には,遊覧飛行用の滑走路(船橋飛行場)もあった。滑走路は,現在の「イケア船橋」とマンションの「ワンダーベイシティサザン」,「グランドホライゾン・トーキョーベイ」の場所となる。
その後滑走路は,1965年7月1日に開設された船橋サーキット場となる。多摩川スピードウェイ,鈴鹿サーキットにつぐ3番目のサーキット場だったが,わずか2年で閉鎖に追い込まれる。その跡地の一部に船橋競馬場から船橋オートレースが移転し,専用のオートレース場となる。
▼1974年(昭和44年)ごろの船橋ヘルスセンター。
船橋ヘルスセンターには,温泉施設以外にも,劇場やボウリング場,人工ビーチ,ローラースケート場,そしてアイススケート場もあった。
▼船橋ヘルスセンターアイススケート場。
船橋オートレースの北側には,人工ビーチのゴールデン・ビーチがあった。当初は東京湾に接続する海水浴場だったが,王子製紙(現,王子マテリア)江戸川工場などからの排水によって水質が悪化し,海水浴場から閉鎖型プールに変更せざるを得ないことになる。千葉県の許可なく工事をしたことから問題となり,土地交換という方法で正式に朝日土地興業の土地にした経緯がある。
▼1965年(昭和40年)ごろの船橋サーキットとゴールデン・ビーチ。
だが,1960年後半になると,地盤沈下が深刻化する。場所によっては120cm も沈下していた。そして,1971年(昭和46年)9月29日船橋市から「地盤沈下非常事態宣言」が発令されて地下水のくみ上げができなくなってしまう。船橋ヘルスセンターは,天然温泉の名が使えなくなってしまった。また,クルマの普及によりレジャーが多様化し,来場者数が減少。ついに,1977年5月5日で21年半の歴史に幕を閉じた。
▼船橋ショッピングセンター(現,ららぽーとTOKYO-BAY)の全景。
その船橋ヘルスセンター跡地にできたのが,日本初のショッピングモールの船橋ショッピングセンター(現,ららぽーとTOKYO-BAY)だ。船橋ショッピングセンターは,ハワイのショッピングセンター「アラモアナセンター」をモデルとした。
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▼1965年(昭和40年)ごろの船橋ヘルスセンター。
船橋ヘルスセンターは,天然ガス(炭化水素ガス)の掘削時に,ガスとともに出てきた温泉を活用した。約1000mからくみ上げた温泉は,29℃だった(現在の温泉の定義では,温度が25度以上ないといけない)。「日本一大きい,日本一面白い,日本一安い,温泉と海と娯楽の大デパート」をテーマに,温泉施設のみならず遊園地も併設されていた。
▼1973年(昭和48年)ごろの船橋ヘルスセンター。
現在の健康ランドやスーパー銭湯に近いが,それをはるかに超える規模の施設だった。1966年開業の常磐ハワイアンセンター(現,スパリゾートハワイアンズ)は,この船橋ヘルスセンターを参考にしたといわれる。
▼1974年(昭和44年)ごろの船橋ヘルスセンター。
船橋ヘルスセンターは,朝日土地興業の丹沢善利が開発運営した。丹沢は山梨県(甲州)出身実業家で,日蘭貿易会社を設立し,鉄くずの南洋貿易で成功した。千葉日報社長も務めたことがあるが,のちに朝日土地興業は三井不動産に吸収合併される。
▼船橋ヘルスセンター内の遊覧飛行用のセスナ機。
船橋ヘルスセンター内には,遊覧飛行用の滑走路(船橋飛行場)もあった。滑走路は,現在の「イケア船橋」とマンションの「ワンダーベイシティサザン」,「グランドホライゾン・トーキョーベイ」の場所となる。
その後滑走路は,1965年7月1日に開設された船橋サーキット場となる。多摩川スピードウェイ,鈴鹿サーキットにつぐ3番目のサーキット場だったが,わずか2年で閉鎖に追い込まれる。その跡地の一部に船橋競馬場から船橋オートレースが移転し,専用のオートレース場となる。
▼1974年(昭和44年)ごろの船橋ヘルスセンター。
船橋ヘルスセンターには,温泉施設以外にも,劇場やボウリング場,人工ビーチ,ローラースケート場,そしてアイススケート場もあった。
▼船橋ヘルスセンターアイススケート場。
船橋オートレースの北側には,人工ビーチのゴールデン・ビーチがあった。当初は東京湾に接続する海水浴場だったが,王子製紙(現,王子マテリア)江戸川工場などからの排水によって水質が悪化し,海水浴場から閉鎖型プールに変更せざるを得ないことになる。千葉県の許可なく工事をしたことから問題となり,土地交換という方法で正式に朝日土地興業の土地にした経緯がある。
▼1965年(昭和40年)ごろの船橋サーキットとゴールデン・ビーチ。
だが,1960年後半になると,地盤沈下が深刻化する。場所によっては120cm も沈下していた。そして,1971年(昭和46年)9月29日船橋市から「地盤沈下非常事態宣言」が発令されて地下水のくみ上げができなくなってしまう。船橋ヘルスセンターは,天然温泉の名が使えなくなってしまった。また,クルマの普及によりレジャーが多様化し,来場者数が減少。ついに,1977年5月5日で21年半の歴史に幕を閉じた。
▼船橋ショッピングセンター(現,ららぽーとTOKYO-BAY)の全景。
その船橋ヘルスセンター跡地にできたのが,日本初のショッピングモールの船橋ショッピングセンター(現,ららぽーとTOKYO-BAY)だ。船橋ショッピングセンターは,ハワイのショッピングセンター「アラモアナセンター」をモデルとした。
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