パン屋やデパ地下などを見ると,あんパン,クリームパン,カレーパン,メロンパン,調理パンなど定番「パン」が並ぶ。いずれも,日本で独自に進化を遂げた「パン」たちだ。
▼「コロナ禍」前のパン屋。
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この「パン」の販売方法が,変わってきている。日本の場合,焼きたて「パン」の香ばしい匂いが購買力をあげるということから,個別包装なしで店頭に並べ,レジで個別包装をおこなう方法をとっていた。
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コロナ禍」の中,感染症予防のためにあらかじめ個別包装をして店頭に並べて販売する方法にかわっている。咳による「パン」へのウィルス付着も予防でき衛生も向上する。また,レジ前の並ぶ時間も短縮しソーシャルディスタンスも維持できる。
コロナ禍のなかのパン屋。商品を並べる前から「個別包装」となっている。
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小売関連団体が2020年5月に発表した「小売業の店舗における新型コロナウイルス感染症感染拡大予防ガイドライン」では,「惣菜・ベーカリーなど,顧客が自ら取り分ける販売方法についてはパック・袋詰め販売へと変更する」と定めている。
▼中国のジャンク船(木造帆船)。
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日本での「パン」の歴史は古い。470年以上も前の1543年(天文12年)に,ポルトガル人を乗せた中国ジャンク船(木造帆船)が種子島に上陸したことから始まる。ここから西洋文化(南蛮文化)との直接接触が始まる。それまでの日本では,大陸経由で言い伝わった西洋文化しか知らなかった。
▼日本へ来たポルトガル人。
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日本は,ポルトガルから多くのモノや文化を受け取った。まず,「火縄銃(鉄砲)」が持ち込まれ,これ以降日本国内の戦(いくさ)は大きく変化した。
▼ポルトガルから伝わった「火縄銃」。
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火縄銃」がなければ,織田,豊臣の天下統一はなかったかもしれない。
▼ポルトガルから伝わった「火縄銃」。
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その他にも,「カステラ」もそのひとつだ。ポルトガル語で「パォン・デ・ロー」というが,「パォン」は「パン」の語源になった言葉だ。また,コンペイトウ(金平糖),ブドウ酒,機械式時計,オルゴール,地球儀,眼鏡,オルガン,カルタなども,ポルトガルから伝わったとされている。
▼ポルトガルから伝わったとされる「カステラ(パン)」。
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これらの西洋人との交流で受け取ったのは,モノや文化だけでない。明確な記録はないが,未知の「病原体」も運び込まれた。西洋船の港は限定されていたことと,行動に制約があったことなどから,歴史書には記載されるような広がりはなかったが,ウィルスや細菌などによって中規模の「感染症」が発生していたと考えられる。
▼天然痘ウイルス。
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当時は,ポルトガル,スペインを中心とした大陸を超える植民地化によって,各大陸の風土病が本国に持ち込まれ,今までに知らない「病原体」がヨーロッパで全体にまん延し,パンデミック(世界的大流行)となっていた。「天然痘(ほうそう)」,「腸チフス(サルモネラ感染症)」,「梅毒(セフェリス)」,「黒死病(ペスト)」などだ。
▼結核菌。
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日本では,弥生時代に大陸から弥生人と稲作文化が入って来たが,一緒に「結核」や「白血病」も持ち込まれた。これらの「感染症」はその後日本で土着化していたが,ポルトガル人にも日本で「梅毒(セフェリス)」などが感染していた可能性がある。
▼梅毒トレポネーマスピロヘータ。
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ポルトガル人については,小学6年の社会歴史編で,「宣教師『フランシスコ・ザビエル』によってキリスト教が伝えられ日本に広がった」ことなどを教わる。
▼ポルトガルの「フランシスコザビエル」。
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そもそも「ザビエル」は,マレーシア南西岸のマラッカで中国入りを模索していた。そのマラッカで,薩摩(鹿児島県)出身の「弥次郎(ヤジロウ)」と出会い,予定していなかった日本へ向かうことになる。
▼薩摩(鹿児島県)出身の弥次郎(ヤジロウ)。
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ザビエル」によるキリスト教イエズス会布教活動は1549年から6年間おこなわれ一定の成果を出したが,イギリスによる妨害活動により,日本を追われ中国マカオへ渡る。
▼ポルトガルの「フランシスコザビエル」。
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だが,大陸入りは果たせず,46歳の若さで亡くなる。
死因は,当時世界中でまん延していた「天然痘」か「腸チフス」などの「感染症」ではなかったかと思われる。当時の死亡原因のおよそ30%が,「感染症」によるものだった。
▼銀座木村屋の「あんぱん」。
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しばらく,「パン」は主食になることはなかったが,明治時代になると文明開化で食生活文化が変化し,新しいもの好きの富裕階級を中心に「食パン」が食べられるようになる。
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そして1874年(明治7年),木村屋(銀座木村屋總本店)が和のあずき餡をパン生地でくるんだ「あんぱん」をに開発する。あんぱん」は,日本人の嗜好にあい爆発的に売れた。パン」は,一気に一般大衆にまで普及した。
▼銀座木村屋の「あんぱん」。
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この「あんぱん」は,独特の臭いの西洋のイースト菌ではなく,酒を造るの酵母菌を使用した。パン」の真ん中にくぼみに塩漬けした桜の花びらをトッピングしたものだった。これが,日本発の新しい「パン」の始まりだ。
▼銀座木村屋の「あんぱん」。
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長期保存が可能な「乾パン」は,1894年(明治27年)の日清戦争,1904年(明治37年)の日露戦争と相つぐ戦争で,軍に「パン」が供給される。
▼1895年(明治28年),「日清戦争」時の日本兵。
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軍と「感染症」の関係は深い。1914年7月28日から1918年11月11日にかけての「第一次世界大戦」は,戦闘以外にも「感染症」の拡大もさせた。
▼1904年,「日露戦争」時の日本兵。
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そのひとつが,1918年-1919年,世界中で4500万人-2000万人が死亡した「スペインかぜ」(ウイルスはH1N1型)だ。
▼1918年(大正7年),「スペインかぜ」で病院へ入院する,米国カンザス州の兵士。
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米国カンザス州の陸軍基地から始まったとされ,軍によってスペインヘ渡り,一瞬で全世界にまん延しパンデミック化している。今回の「コロナウィルス」のまん延によく似ている。さらに,当時日本が統治中であった台湾から日本の横須賀軍港にの軍艦で患者が発生する。日本全体では,約45万人-38万人の死者をだした。
▼1918年(大正7年)岡山県の米騒動で「精米所」が襲撃される。
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同じ時期に,日本では米価は2.5倍ほどに高騰し,1918年に富山県で起きた「米騒動」は生活の困窮者らによって日本列島各地広がっていた。その時に米の代用食になったのが「パン」だった。製パン大手の敷島製パンも,この時に設立された。
▼1919年(大正8年)ごろの「スペインかぜ」の大流行でマスクをする女学生たち。
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1923年(大正12年)の大正関東大震災でも,火を使わずに食べられる「パン」は,「地震パン」,「奉仕食パン」として原価で販売された。阪神淡路大震災や東日本大震災,熊本地震でも「パン」は非常食として活躍したのはご存じの通りだ。
▼東日本大震災発生時に緊急食糧供給する山崎製パン。
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