船橋駅からクルマで34分ほど(自転車で48分ほど)の場所に,「ふなばしアンデルセン公園」がある。有料市営公園でありながら,年間来場者数は約90万人(2019年)にもなる。
首都圏の大型公園の「国営昭和記念公園」の年間来場者数約404万人(2016年度),「国営ひたち海浜公園」の約229万人(2018年)には遠くおよばないが,世界最大の旅行口コミサイト「トリップアドバイザー」の「トラベラーズチョイス世界の人気観光スポット・日本国内テーマパーク部門(2015年)」にて,東京ディズニーランド,東京ディズニーシーにつぐ3位。「アジアのテーマパーク部門」で10位にとなったことがある。
この「公園」は,船橋市の市制50周年を記念して,1987年(昭和62年)11月15日にオープンした。当時は「ワンパク王国」という名前で開園してた。日本最大規模のフィールドアスレチックが売りとなっていた。
同じ北部地域の「県民の森」も含めて開発する計画もあったが,千葉県との調整や土地取得や駐車場の問題,開発費用の問題などもあり,現在の「ワンパク王国ゾーン」となった。当時,船橋市は「船橋市武道センター」(船橋市市場)の建設計画も進んでいたことから,有料公園となった。
その後,1989年4月7日にデンマーク王国第三の都市「オーデンセ市(オーゼンセ市)」と姉妹都市となり,「オーデンセ市」や「デンマーク」の協力得て,1996年10月25日に「アンデルセン公園」に生まれ変わった。
デンマークをイメージしたテーマパーク施設で,オーデンセ市出身の童話作家「ハンス・クリスチャン・アンデルセン」の名から命名された。
特定のテーマの施設としては先駆け的存在であった。その後,長崎オランダ村(2001年閉園),新潟ロシア村(1993年),柏崎トルコ文化村(1996年),富士ガリバー王国(1997年)などとつぎつぎに開園しているが失敗したテーマパークも多い。
現在の「ふなばしアンデルセン公園」は 39万m2(39ha) ほどあり,東京ドーム8.3個分もの広大な敷地に,デンマーク式風車やアンデルセン像,長さ50mの大すべり台,動物と触れ合えるミニ動物園,アンパンマン像などの施設がある。「大人も子供も一日中楽しめる」と,千葉県民のみならず他県からも多くの人びとが訪れる。
この「ふなばしアンデルセン公園」の北口ゲート(メインゲート)から入ると,大きな「平和を呼ぶ像」がお客を出迎える。船橋市の平和都市宣言記念シンボル像として1988年10月に設置された。
この「平和を呼ぶ像」の原型が,船橋市役所1階のエレベータ脇に設置されている。
像には2つの顔があり,北口ゲート方向(帰り)の顔が男性的で,園側方向(入場)が女性的に見える。
この「像」のデザイン,どこかでみたことがあるように思える。
首都圏の大型公園の「国営昭和記念公園」の年間来場者数約404万人(2016年度),「国営ひたち海浜公園」の約229万人(2018年)には遠くおよばないが,世界最大の旅行口コミサイト「トリップアドバイザー」の「トラベラーズチョイス世界の人気観光スポット・日本国内テーマパーク部門(2015年)」にて,東京ディズニーランド,東京ディズニーシーにつぐ3位。「アジアのテーマパーク部門」で10位にとなったことがある。
この「公園」は,船橋市の市制50周年を記念して,1987年(昭和62年)11月15日にオープンした。当時は「ワンパク王国」という名前で開園してた。日本最大規模のフィールドアスレチックが売りとなっていた。
同じ北部地域の「県民の森」も含めて開発する計画もあったが,千葉県との調整や土地取得や駐車場の問題,開発費用の問題などもあり,現在の「ワンパク王国ゾーン」となった。当時,船橋市は「船橋市武道センター」(船橋市市場)の建設計画も進んでいたことから,有料公園となった。
その後,1989年4月7日にデンマーク王国第三の都市「オーデンセ市(オーゼンセ市)」と姉妹都市となり,「オーデンセ市」や「デンマーク」の協力得て,1996年10月25日に「アンデルセン公園」に生まれ変わった。
デンマークをイメージしたテーマパーク施設で,オーデンセ市出身の童話作家「ハンス・クリスチャン・アンデルセン」の名から命名された。
特定のテーマの施設としては先駆け的存在であった。その後,長崎オランダ村(2001年閉園),新潟ロシア村(1993年),柏崎トルコ文化村(1996年),富士ガリバー王国(1997年)などとつぎつぎに開園しているが失敗したテーマパークも多い。
現在の「ふなばしアンデルセン公園」は 39万m2(39ha) ほどあり,東京ドーム8.3個分もの広大な敷地に,デンマーク式風車やアンデルセン像,長さ50mの大すべり台,動物と触れ合えるミニ動物園,アンパンマン像などの施設がある。「大人も子供も一日中楽しめる」と,千葉県民のみならず他県からも多くの人びとが訪れる。
この「ふなばしアンデルセン公園」の北口ゲート(メインゲート)から入ると,大きな「平和を呼ぶ像」がお客を出迎える。船橋市の平和都市宣言記念シンボル像として1988年10月に設置された。
この「平和を呼ぶ像」の原型が,船橋市役所1階のエレベータ脇に設置されている。
像には2つの顔があり,北口ゲート方向(帰り)の顔が男性的で,園側方向(入場)が女性的に見える。
この「像」のデザイン,どこかでみたことがあるように思える。
そうなのだ,1970年(昭和45年)に大阪で開催された万国博覧会の「太陽の塔」(総高70m)などをプロディースした「岡本太郎(1911年-1996年)」が制作したものなのだ。
「太郎」は,マクセルのカセットテープのCMで「芸術は爆発だ!」で話題になり,1986年の「新語・流行語大賞」を受賞している。
「岡本太郎」は,漫画家の「一平」と小説家の「かの子」の長男として神奈川県川崎市に生まれた。
▼「岡本一平」と「かの子」夫妻。
幼いころから絵が好きで,東京美術学校(東京芸術大学の前身)へ進学した。のちに「太郎」は母について「母親としては最低の人だった」と語っている。お嬢さん育ちで間知らずだった「かの子」ではあったが,「太郎」の生き方に大きな影響をあたえる。
▼岡本太郎と父「一平」と母「かの子」。
1929年(昭和4年),父「一平」が朝日新聞の漫画特派員として,海軍軍縮会議の取材のためにロンドンへ行くがことになった。画家の人生に疑問を感じていた「太郎」は,休学して一緒について行く。
▼岡本太郎と父「一平」と母「かの子」。
父「一平」は,約2年の特派員を終え,「一平」と「かの子」は日本に帰るが,「太郎」はそのまま欧州で暮らすことになる。
▼パリ滞在中の「太郎」。
「太郎」は,パリに移り「ポール・セザンヌ」や「パブロ・ピカソ」の影響を受ける。しかし,第二次世界大戦が始まり,1940年(昭和15年)5月ナチス・ドイツがフランスへ侵攻したことから,約11年間暮らした欧州から日本へ戻らざるを得なくなる。
▼ナチス・ドイツによるフランス占領。
日本へ戻った「太郎」だが,帝国陸軍兵として召集され中国へ出征する。そこで,戦争の現実を知る。中国で終戦(1945年8月15日)を迎えるも,半年ほど俘虜(ふりょ)となる。日本に帰るが,パリで書きためた絵画はすべて空襲で灰となっていた。
▼現在の千葉県立行田公園にあった「海軍無線電信所」。真珠湾攻撃の決行を告げる暗号電文「ニイタカヤマノボレ一二〇八」が発信された。
「太郎」は,平和について強い信念を持っていた。「平和は何もしないであるものではなく,強烈な意志をもって『呼ぶ』ものである」と言っている。「ふなばしアンデルセン公園」の「平和を呼ぶ像」も,悲惨な戦争経験が基になっているのだろう。
「ふなばしアンデルセン公園」の料金は,一般 900円, 高校生(学生証が必要) 600円, 小・中学生 200円, 幼児(4歳以上) 100円となっている。
なお,「ふなばしアンデルセン公園開園記念日(10月第4日曜日)」市民無料開放デーとなっている。その他にも,3月3日の「ひなまつり」,4月2日の「アンデルセンの誕生日」,5月5日の「こどもの日」,6月15日の「千葉県民の日」は,中学生以下のみ入園無料となる。
「太郎」は,マクセルのカセットテープのCMで「芸術は爆発だ!」で話題になり,1986年の「新語・流行語大賞」を受賞している。
「岡本太郎」は,漫画家の「一平」と小説家の「かの子」の長男として神奈川県川崎市に生まれた。
▼「岡本一平」と「かの子」夫妻。
幼いころから絵が好きで,東京美術学校(東京芸術大学の前身)へ進学した。のちに「太郎」は母について「母親としては最低の人だった」と語っている。お嬢さん育ちで間知らずだった「かの子」ではあったが,「太郎」の生き方に大きな影響をあたえる。
▼岡本太郎と父「一平」と母「かの子」。
1929年(昭和4年),父「一平」が朝日新聞の漫画特派員として,海軍軍縮会議の取材のためにロンドンへ行くがことになった。画家の人生に疑問を感じていた「太郎」は,休学して一緒について行く。
▼岡本太郎と父「一平」と母「かの子」。
父「一平」は,約2年の特派員を終え,「一平」と「かの子」は日本に帰るが,「太郎」はそのまま欧州で暮らすことになる。
▼パリ滞在中の「太郎」。
「太郎」は,パリに移り「ポール・セザンヌ」や「パブロ・ピカソ」の影響を受ける。しかし,第二次世界大戦が始まり,1940年(昭和15年)5月ナチス・ドイツがフランスへ侵攻したことから,約11年間暮らした欧州から日本へ戻らざるを得なくなる。
▼ナチス・ドイツによるフランス占領。
日本へ戻った「太郎」だが,帝国陸軍兵として召集され中国へ出征する。そこで,戦争の現実を知る。中国で終戦(1945年8月15日)を迎えるも,半年ほど俘虜(ふりょ)となる。日本に帰るが,パリで書きためた絵画はすべて空襲で灰となっていた。
▼現在の千葉県立行田公園にあった「海軍無線電信所」。真珠湾攻撃の決行を告げる暗号電文「ニイタカヤマノボレ一二〇八」が発信された。
「太郎」は,平和について強い信念を持っていた。「平和は何もしないであるものではなく,強烈な意志をもって『呼ぶ』ものである」と言っている。「ふなばしアンデルセン公園」の「平和を呼ぶ像」も,悲惨な戦争経験が基になっているのだろう。
「ふなばしアンデルセン公園」の料金は,一般 900円, 高校生(学生証が必要) 600円, 小・中学生 200円, 幼児(4歳以上) 100円となっている。
なお,「ふなばしアンデルセン公園開園記念日(10月第4日曜日)」市民無料開放デーとなっている。その他にも,3月3日の「ひなまつり」,4月2日の「アンデルセンの誕生日」,5月5日の「こどもの日」,6月15日の「千葉県民の日」は,中学生以下のみ入園無料となる。