日本人はパンが大好きだ. 特に日本の場合,木村屋が考案したあんパン,菓子パン生地の上にクッキー生地をかぶせたメロンパン,カレーをパン生地で包み込みパン粉をつけて油で揚げたカレーパンなどと,日本独自に進化したパンも人気だ.
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1人あたりのパンの年間消費量を国別にみると,1位はダントツのトルコ共和国(168kg),2位がチリ共和国(86kg),3位:フランス共和国(58kg)となっている.
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さらに,4位:ロシア連邦(57kg), 5位:イタリア共和国(55kg), 6位:オーストラリア連邦(53.4kg), 7位:フィンランド共和国(51kg), 8位:イギリス連合王国(27kg), 9位:アメリカ合衆国(24kg)と続く. そして,10位が日本(16.8kg)だ.
世界の主食地図.
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朝昼晩とパンを食べるトルコと比べれば日本は10分の1でしかないが,を主食にするアジア圏の国としてはかなりの消費国となっている.
米とパンの世帯単位支出額推移(左). 米とパンとめん類の世帯単位支出額推移(右). 1950年代には世帯平均人数は5人,1961年には4人,1992年には3人を切り,2015年では2.49人.
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日本の世帯別のパンの消費は,2010年ごろに反転し,パンの方が多くなっている. 特に,何かと忙しい朝食は,パンと目玉焼きとコーヒーが定番という家庭も多い.
2014年都道府県別世帯のパン購入量偏差値(左). 2014年都道府県別世帯の納豆購入量偏差値(右).
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都道府県別のパンの消費量をみると,西高東低で,西日本にパン派が多いことがわかる. 一方東北地方を中心にご飯派が多く,納豆の消費量も多い. 特に京都府のパンの消費は全国平均の世帯別消費量が 44.9kg であるのに対して 62.6kg もあり,福島県の 30.3kgの2倍にもなる.
地区別朝食の主食内容(左). 年代別男女別朝食の主食内容(右).
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京都といえば,仏閣や祭りなど伝統あるものがたくさん残っているが,京都人気質として,「合理的で新しい物が好き」といわれる. 和食の文化を守りつつ,戦前からパンを食べる文化が根付いていた. 「職人が多い町から,手軽に短時間に食べられるパンが好まれた」という説もある.
イオンタウン新船橋店の鎌倉ベーカリー.
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そのようなパンの世界だが,街の焼きたてパン屋で「100円均一のパン屋」が話題となっている. ダイソーやセリアなどの100円ショップを「百均」と略されることから,「100円均一のパン屋」を「百均パン」や「パンのダイソー」ともいわれる.
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百均パンといえども,ハイレベルで,コストパフォーマンス(コスパ)は高く,本当に全部100円なのか目を疑ってしまうほどだ.
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百均パンは関西圏に多く,京都神戸から流行したといわれ,る. たとえば関西系の,幸せの100円パン職人,阪急ベーカリー,シーカくんのパン屋さん,100円パンのヤキタテイ,ブーランジェベーグ,100円ベーカリーサンヴァリエ,100円パン屋伊三郎製パンなどだ.
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関東圏でも,阪急ベーカリー,ブーランジェベーグ,フレッシュベーカリーLOAF,感動の100円パン鎌倉ベーカリーなどが急速に店舗を増やしている.
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船橋市のふなばし森のシティ(みらSATOプロジェクト)内のイオンタウン新船橋店にも鎌倉ベーカリーがオープンしている.
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鎌倉ベーカリーはイオンベーカリー(株)の100円均一パンのブランド店で,千葉県を中心に神奈川県や埼玉県など首都圏に店舗を展開している. 毎日100種類以上のパンを焼いて提供している.
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ひと昔のパン屋といえば,午前2時ごろから発酵などの下後らえをして10時にオープンするという大変な仕事だった.
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ガストなどの大手外食チェーン同様パンチェーン店もセントラルキッチン化され,工場でほぼ作られ,9時ごろに出社しても10時のオープンには間に合うようなしくみとなっている.
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鎌倉ベーカリーのセントラルキッチンは,千葉市稲毛長沼にがあり,そこで作ったパン生地は冷凍せずに毎日各店舗に配送され,各店舗で焼かれる.
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百均パンといえども種類も豊富で,菓子パン,フランスパン,食パンと調理パンのサンドイッチまである. 調理パンはコンビニの200円相当のもので,日替わりでおよそ38種類を提供している.
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では日本人は,なぜパンが大好きなのだろうか...
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第二次世界大戦終了後(1945年後)の日本は,戦争による農業労働力の不足で耕地は荒廃し,深刻な食糧危機におちいっていてた. 1946年の1日1人当たりの熱量は 1449kcal(現在は酒類を除いて 2425kcal)しかなく,日本人はみな飢えていて,食べられるものだったなら何でもほしい状況だった.
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その敗戦直後の食糧危機を助けたのが,米国慈善団体からのララ物資(主に麦類)やケア物資(主に衣料などの生活物資),国連のユニセフ物資(主に脱脂粉乳),占領地救済ガリオア(GARIOA)基金と占領地復興エロア(EROA)資金などの援助となる.
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米国の援助物資の中で最も比率の高かったのが,食料のであった. 日本政府は,戦中の植民地だったベトナム(わずか5カ月だが)の(コメ)の輸入を希望した. だが,GHQは受け入れなかった. 戦争により,ヨーロッパ諸国も深刻な食料不足となっていた. パンやパスタが主食のヨーロッパへ麦を送り,米が主食の日本へは被害の少なかった東南アジア諸国から調達すればよかったはずだ. にもかかわらず,無償のを日本へ大量に提供する.
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理由は,米国のしたたかな「農業戦略」にある. を主食にする日本の伝統文化を,パンを主食にする欧米食文化に変更させることにあった. ガリオア資金などを活用して日本の製粉会社,油脂会社,加工食品メーカー,栄養関係者などを米国に招き,パンやマーガリンなどの油脂類が,いかに栄養的に優れているかを教育した. 当時米国内では,生産した麦が余剰農産物となっていて,長期的に消費する場所を探していた. そこで,日本の食文化の潜在性に目をつけたのだ.
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戦後すぐに,児童救済のための無料給食が学校などではじまる. 主食は,米国からの無償援助のによってパンが作られた. 当時のコッペパン(クーポンパンが訛った和製外国語という説がある)は,小麦と大麦が半はんで美味しくなかった. 1952年4月,サンフランシスコ平和条約が発効され,米国による占領時代が終わり,小麦などの無償援助やガリオア資金援助は打ち切られる. だが,有償の小麦の消費量は減ることがなかった. この時代,無理やり食べさせられたパンを揶揄し,「貧乏人は麦を食え」という言葉が流行る.
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船橋駅前の西武船橋がある場所には昭和産業船橋工場(前,昭和製粉)があったが,唯一空襲による被害からまぬがれたことから夜を徹して製粉をおこなった. 1954年に学校給食法が成立し,パン(小麦)と脱脂粉乳のミルクという欧米食の給食が制度化される. 今まで無償援助してきた米国側から強い要請があったからだ. 占領後ではあったものの,米国の要請を受け入れ,先行して8大都市から完全給食制をスタートさせ,順次全国の市制地へ拡大していく.
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主食がパンがの場合,味噌汁,漬物,野菜の煮物,豆腐,納豆,梅干しなどの日本の伝統食は合わず,副食もマーガリンやチーズ,肉類などの献立が主流となる. これらの食材も輸入品が多い. 学校給食に米飯が正式に導入されたのは22年後の1976年4月になってからだった.
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このように,米国政府意向にそい戦略的にパン食を強制した. 日本マクドナルドの創業者藤田田(ふじたでん)はこのようなことを言っている,「人間は12歳までに食べてきたものを一生食べ続ける」と. マクドナルドも,オモチャを使って子どもにハンバーガーを食べさせてきた. これを日本マクドナルド商法ともいう. その時代の子どもが大人になり,固定客になっている. パン食も,20代の若者よりも60代の団塊の世代50代の準団塊の世代の数が多いのも,幼いころに食べたパン給食のためかもしれない.
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