乱世,戦国時代から天下太平(天下泰平)の平和な時代を作り上げたのが,江戸幕府の初代将軍徳川家康だ. ヨーロッパ諸国のほとんどが王や貴族階級による強力な絶対王政(絶対君主制)や封建制を敷き,富と権力を独占していたのに対して,江戸幕府の武士が握っていたのは権力だけだった. この日本独自の幕藩体制(封建制に近い)が,265年間も続く世界でも稀に見る政府となる.
江戸時代の日本橋魚河岸(左). 江戸時代の東海道品川宿(右).
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当時,全国に200あまりの大名(藩主)がいたが,武家を統制するために武家諸法度(1615年)を発し,新規築城の禁止(一国一城),藩同士の政略結婚の禁止,参勤交代の実施(3代将軍家光から)などをおこなって武家を厳しく統制したものの,かなりの権限は各藩などにゆだれられていた. 戦乱に明け暮れていた時代から平和な世の中になり,膨大な戦費を水利事業などの土木作業に振り向けられるようになり,農業生産性も向上していく.
江戸時代の永代橋の風景(左). 江戸時代の下絵国府ノ台(右).
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江戸幕府の財政を支えたのは,各藩から年貢として徴収されるだ. その輸送のために,水道路が整備されていく. 江戸時代初期におこなわれたのが,隅田川から中川を結ぶ運河(水路)の開削で,行徳の浜でできた塩を安全に江戸まで運ぶためのものであった. さらに,東北の各藩からからの米や薪(マキ)や炭の原料となる木材などを積んだ船は,石巻(宮城県)で積み替えして外洋船で太平洋を南下し,房総半島を大廻りして江戸へ入るルートとなる. だが,より安全な銚子から利根川を上流に上り,ふたたび江戸川を下るルートが多用されるようになる.
江戸時代の東北地方(仙台や三陸沖など)からの航路.
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利根川の浅瀬を通過するため,船体は小さく底が平たい高瀬舟に積み替えをおこなうことになる. 舟運の中継地となる船着場(河岸)が,潮来(いたこ,茨城県)や佐原(千葉県)であった. 現在の印西市立木下小学校近隣にあった木下河岸(きおろしがし)でも,東北産米や材木やたきぎなどの津出し(陸揚げ)をおこなっていた. また,銚子に水揚げされた魚貝類もここで津出しされていた.
市川の高台からみた江戸川(利根川)の高瀬舟(左). 江戸川の高瀬舟(左).
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江戸時代前期の利根川は,東京湾(江戸の内海)へ流れていた. 徳川家康が江戸に入り関東地域の開発を行うことから,利根川の流れを銚子の太平洋側に流れるように付け替えるという構想をたてる. これを,利根川東遷(とねがわとうせん)という. 測量の技術も乏しいかったことから何度も失敗し,さらに大災害にも見舞われ,プロジェクトがスタートしてから60年後の1654年(承応3年),利根川常陸川(ひたちがわ)を結ぶ赤堀川(あかぼりがわ)の開削をもって今日の利根川の原型が完成する.
利根川の高瀬舟.
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利根川を太平洋側に引き込むための赤堀川の川幅は,当初7間(12.6m)しかなかった. これからもわかるように,江戸を水害から守るにはほとんど役に立たず,東北(伊達藩)と江戸を結ぶ舟運の開発のためであった. 1809年(文化6年)に赤堀川を40間(約72m)に拡幅させ,利根川洪水を常陸川に流すことができるようになった.
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利根川東遷が完成する前から,銚子と江戸の間の物流はは,舟運陸運を組み合わせてつながっていた. 江戸中期になると,江戸の人口は100万人を超え,江戸前と言われた東京湾(江戸の内海)の魚貝類だけでは供給が間に合わなくなっていて,銚子沖で獲れた大型の魚が求められた. 銚子沖は,親潮と黒潮が接触するので魚が集まり,日本の四大漁場のひとつになっている.
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銚子に水揚げされた魚は,腐らないように血抜きや内臓が取り除かれ,塩や笹の葉に挟むなど防腐処置されて,その日の夕方には銚子を出発. 船は高瀬舟と呼ばれ,4人-6人が乗りこんだ. 利根川約80kmを遡上し,中流の現印西市の木下河岸(きおろしがし)で津出し(陸揚げ)をし,木下街道(きおろしかいどう,現千葉県道59号市川印西線)を使って,印西大森宿-白井宿-鎌ケ谷宿-船橋馬込沢-法典-市川鬼越-八幡宿を経由して旧江戸川ぞいの本行徳河岸までの約9里(約36km)の道のりを馬で陸送する. 1時間あたり 4km で計算すると,約9時間ほど陸送にかかっていたものと思われる.
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さらに,本行徳河岸からふたたび船に乗せ,旧江戸川から中川結ぶ新川運河-中川から隅田川を結ぶ小名木川運河を経由して,日本橋小網町の魚河岸(うおがし)の魚市場まで運んでいた. 積み出してから夜通しで運んで3日目の早朝の朝市で,魚は販売された. 現代の物流システムに似たしくみが,すでに江戸時代にできあがっていた. 木下街道(きおろしかいどう)は,生鮮食品を運んだ道ということから,別名「下総鮮魚街道」,「なま道」などと言われた.
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その印西市木下河岸(きおろしがし)近くの利根川河川敷で,印西市主催の花火大会が2016年8月27日夜に開催された. いや,開催される予定だったが,中止となった. 印西市市制施行20周年記念の花火大会のはずだった. 印西市は,この花火大会のために4000万円を事業費を投じ,8800発を打ち上げ,約6万人の動員を見込んでいた. だが,この花火大会の中止をめぐって,委託先に事業者ともめにもめている...
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花火大会は,野外でおこなう関係から雨や風の影響をうけやすく,中止になるリスクはおり込みずみのはずだ. 理由を説明すれば,市民でも納得するはずだ.
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だが,花火大会を中止にしたはずの印西市は,中止した理由を説明できないとしたのだ. 花火大会の前日から雨もようで,当日の花火大会もあやぶまれたが,雨は小雨となり,なんとか開催できるような天気となっていた. 同じ日に隣りの八千代市では,4年ぶりに行われた花火大会が問題なく開催されていた. 当日の開始時刻の 19:30 を過ぎても,花火はなかなか打ち上がらなかった. また,場内へのアナウンスも中止とはアナウンスされていない.
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すでに,大勢の観客が集まった会場は不穏な空気にとなっていく. すでに,開始予定から40分以上すぎた20:10 ごろ,ようやく大会本部から中止がアナウンスされることになる. 開始予定時刻の 19:30 の時点で,中止や開始時刻の遅れののアナウンスをしなかったことから,「なぜ中止の発表がこんなに遅いのか」,「中止の理由が分からない」と客の不満が噴出することになる. だが,当日は最後まで理由は説明されなかった. 「中止する理由は確かにあった,だが公表できないのではないか」と市民は思い始める.
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印西市は,千葉県北西部に位置する面積123.8km2,人口約9万1000人の市となる. 2010年3月23日に印西市印旛村(いんばむら),本埜村(もとのむら)を合併し,新生印西市が誕生した. 東京の都心から約40km,千葉市から約20km,成田国際空港から約15kmに位置する. 北総鉄道北総線印西牧の原駅から東京メトロ日比谷線銀座駅まで,わずか1時間8分で行ける距離となる. 標高20mから30m程度の低地がほとんどで,三方を利根川,印旛沼,手賀沼に囲まれる. 関東ローム層の強固な台地に千葉ニュータウンが造成され,現在は市民の約6割がこの地域に住む.
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千葉ニュータウンには,まだ未開発の土地が多く残っているので,わざわざ利根川河川敷までいかなくても,候補となる場所はいくらでもあった. 印西市市制施行20周年の記念ということから,発展の起源となる木下河岸(きおろしがし)近くで,どうしても行いたいという理屈もよくわかる. だが,花火大会開催地としては,最良の場所ではなかった.
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花火大会中止後3日後の8月30日なっても,「調査中」として不可解な回答を繰り返していた. なんらかの理由があって中止を決めたのは印西市であるので,責任の所在を調整中であってもなんらかの説明をすべきだ. 板倉正直市長(2012年7月28日就任1期目)もだんまりであった. 印西市は,「中止理由について現在調査中」との不可解な回答を繰り返すばかりだ. あまりにも説明がないため,市民からは「実は,業者に日程を間違えて伝えていたのでは」といった根本的なところまで妄想させてしまっている.
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千葉県を含め,夏には各地で花火大会が開かれる. 千葉県産業保安課も,花火大会の季節を前に事故防止のための説明会を,主催者の地方自治体や花火業者に対して,2016年6月8日に千葉県庁で説明会を開催している. 印西市からも経済政策課の職員1人が参加していた. この説明会で千葉県の打ち上げの手引が配布され,「打ち上げ現場は必要に応じて整地し,周囲の草刈りを必ず行う」,「地面が軟弱であった場合花火の筒が傾く恐れがあり,事故を招きかねない」,「大会の安全に関する責任は主催者にある」と説明していた. この手の委託でよくある,「業者丸投げはダメだ」ということだ.
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見物席となる利根川河川敷は印西市だが,打ち上げ場所は反対側の河川敷となる. 利根川は県境にもなっているため,打ち上げの許可も県を超えて茨城県と利根町に申請をしなければならない. 厳密にいえば,印西市茨城県主催の花火大会説明会にも参加しなければならなかったのかもしれない. この微妙な位置関係も,少しは影響したのかもしれない.
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さらに,安全に観覧し,事故なしに花火を打ち上げるためには,河川敷に自然に生息する草木も刈らないといけない. これらはすべて,花火打ち上げ業者に一括委託され,問題なく刈られ処分された. 2016年は台風の当たり年で,中止になった花火大会も多い. 2016年8月17日-8月23日の一週間だけでも,8月17日上陸した台風7号,8月21日上陸した台風11号,8月23日上陸した台風9号,8月30日上陸した台風10号と立て続けにやってきた.
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台風第9号(ミンドゥル)の最低気圧 975hPa にもなり,8月22日に最大風速は千葉県勝浦で 31.5m/s を記録した. さらに,台風第10号(ライオンロック)は,関東圏は外れたものの8月28日に最低気圧 940hPa を記録,大型で強い台風として岩手県大船渡市付近に上陸した. 1951年(昭和26年)から気象庁が統計を取り始めて以来,初めて東北地方の太平洋側に上陸した珍しい台風となった.
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印西市は8月31日になって,「調査中」としていた理由をようやく説明をした. 大会当日の18:00過ぎ,花火の点火装置に異常が発生したことが主因だった」とした. 印旛火工の説明として「装置の上にかぶせていたシートが風で飛ばされ,雨風で異常が起きたのでは」と説明する. これだけの問題であれば,当日にも説明できたのではないか. さらに,「機材を運搬するトラックがぬかるみにはまり,一時立ち往生するトラブルもあった」と副次要因も説明した. これらの理由によって,「開始時間の19:30 になっても花火は打ち上がらず,業者は装置の復旧作業を進めたが完了しなかった」とした. 印西市は「花火業者(印旛火工)にてんまつ書を提出させる」とした.
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この説明に対して,印旛火工側から反論が出る. 「大会当日朝に業者(印旛火工)の責任者と会ったが,地盤の悪化の報告や,整地についての相談がなかった」 という説明にかみついたのだ. 一連の台風により,利根川河川敷の茨城県側はの現場はぬかるんでいた. 花火業者の印旛火工(千葉県印西市荒野)の責任者は,「(打ち上げ場所と運搬路を)整地をしないと無理だ」と中止を提言した. それが「相談がなかった」に変わっていたからだ.
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さらに,「印西市が整地をすべきだった」と反論した. 千葉県の説明でも,「整地は主催者の責任でおこなうべきもの」と説明していたのもかかわらずだ. にもかかわらず,15年ぶりの3回目の花火大会ということで印西市の担当者も慣れていなかったこともあるだろうが,「市制施行20周年を記念」を優先して印旛火工にごり押しをした. 印旛火工の反論で,印西市側が事実と異なる説明をしていたことを後日認め発言を訂正することになる. それでも市側の非は認めなかった.
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印旛火工はしかたがなく,担いで花火機材を打ち上げ場所まで運ぶことになる. これが,準備作業を大幅に遅れさせてしまった. 整地のために鉄板を敷くくらいは,さほどの金額にはならない. 印西市の担当者レベルの裁量でできる範囲と考えられる.
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だが,河川内の現場に鉄板を持ち込むとなると,茨城県の許可を取らないといけないかったものと思われる. 千葉県側であれば,知り合いもいただろうが,茨城県側では土日の対応は無理だったかもしれない. さらに茨城県側の説明会も受けていない. 調査委員会を設けてさらに調査しているが,市民からは「どうみても印西市側が悪い」といった声が出ている.
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