千葉県は,温暖な気象条件や土壌条件に恵まれ,ナシ(梨)の栽培に適している. 栽培面積,収穫量,産出額とも日本一を誇る. 江戸時代の1783年(天明3年)の浅間山大噴火によって,千葉県成田で数10cm以上の火山灰が降り積もったという記録がある. この火山灰によって.排水性の良い土壌となり,ナシの栽培に向いている.
千葉県道51号市川柏線.
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都道府県別ナシ(和梨)生産量(2014年)は,1位;千葉県(3万3500t,12.4%),2位;茨城県(2万7100t),3位;栃木県(2万1700t),4位;福島県(1万9600t),5位;鳥取県(1万8500t)となっている. 千葉県の栽培面積は 1650ha にもなる.
千葉県道51号市川柏線ぞいの二十世紀のオブジェ.
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千葉県内の市町村別の果樹面積でみると,1位;白井市(304ha),2位;市川市(272ha),3位;鎌ケ谷市(228ha),4位;船橋市(181ha),5位;市原市(75ha),6位;松戸市(66ha)となっている. 船橋市市非公認ゆるキャラ「ふなっしー」はナシの妖精だが,この「ふなっしー」によって,船橋ナシのブランド力は高まった. だが,白井市の生産量の半分程度でしかない.
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千葉県におけるナシの栽培は江戸時代にまでさかのぼる. 千葉県のナシの栽培は八幡地方(現在の市川市八幡地区)からで,川上善六が1769年に取り組んだのが最初と言われている. 徳川幕府末期には,関東圏最大のナシ産地になっていた. 当時のナシの品種は太白赤龍(早生赤),明月(中国ナシ系)だったと思われる. 日本のナシに革命を起こしたのが,松戸市発祥の二十世紀だ.
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その二十世紀を発見したのが松戸覚之助(まつどかくのすけ)だった. 覚之助の父は,1886年(明治19年)から上総(かずさ)大橋村(後に八柱村となり現在の松戸市となる)で錦果園という果樹園でブドウを栽培していた. 覚之助が11歳の時に父が新たにナシの栽培を始める. 覚之助が高等小学校高等科2年(現在の中学1年相当)の時に,親戚の家のゴミ捨場でナシの木を偶然見つける. 食べたナシの食べかすから自生したと思われる. それが,のちの二十世紀(当初品種名は新太白)となる.
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父(伊左衛門)が経営する錦果園に移植して育てるが,なかなか満足するような果実を付けることはできなかった. 実を付け始めると,すぐに黒斑病(こくはんびょう)になってしまうからだ. ようやく,実を付けたのは10年後の1898年,覚之助が23歳の時だった. 現代でも二十世紀は,袋掛け農薬を使わないと果実は育たない. その後,1904年に鳥取県に導入され,鳥取県産ナシの8割(国内生産量の49.7%)を二十世紀が占める.
二十世紀(新太白)(左). 幸水豊水(右).
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現在の千葉県では,二十世紀はほとんど生産されておらず,二十世紀の子孫となる1941年生まれの幸水や,1954年生まれの豊水などの赤系の品種が主流となっている. かつて,鳥取県のナシ生産量は1位となっていたが,二十世紀にこだわり,三水(幸水,豊水,南水)の生産に乗り遅れ,現在は5位の生産量となってしまった.
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