京成津田沼駅南口から海岸線方向に国道14号線までの約 500m の通りを京成津田沼駅前通り商店街「ワイがや通り」と呼ぶ. 正式には,千葉県道204号津田沼停車場線となる.
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この道路周辺には田畑が広がり,特にサツマイモの産地だった. そのような農産物を大八車に乗せこの千葉県道204号を海岸線まで下り,小さな船着き場から巨大消費地東京へ運んでいた. しだいに道幅は広がり,農産物や農機具などを販売する市場が自然発生的にできていったと思われる. 1889年(明治22年)の町村制施行にともない,谷津村,久々田村(くぐたむら),鷺沼村(さぎぬまむら),藤崎村,大久保新田村の5つの村が合併して津田沼村ができる.
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合併後の名は,当初は菊田村(=久々田村)になる予定だった. だが,久々田村以外の村からの反対から,谷[]、久々[],鷺[]から1文字ずつ取って津田沼村となる. 1903年(明治36年)に津田沼村は津田沼町となり,そして1954年(昭和29年)に,津田沼町が中心となって習志野市が誕生する.
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もし,津田沼村が菊田村になっていたなら,習志野市は菊田市になっていたかもしれない. 京成津田沼駅前通り商店街も,京成菊田駅前通り商店街だったかもしれない. 津田沼町時代のメインストリートが,現在の京成津田沼駅前通り(現,ワイがや通り)となる.
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だが,国鉄津田沼駅(現,JR津田沼駅)の再開発によって,北口駅前に長崎屋が1975年にオープン. パルコと西友からなる西武津田沼ショッピングセンターが1977年(昭和52年)7月にオープン. 新京成新津田沼駅前にイトーヨーカ堂津田沼店も1977年11月にオープン.
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国鉄津田沼駅南口には,ダイエーと高島屋を核テナントに津田沼サンペデックが1978年(昭和53年)10月にオープンする. 国鉄津田沼駅を挟んで南北の商業施設が熾烈な争いとなり,マスコミなどでも津田沼戦争(津田沼流通戦争)として報道された. さらに,京成センター競馬場前駅(現,船橋競馬場駅)近くに船橋ヘルスセンターの跡地にららぽーと船橋ショッピングセンター(ららぽーとTOKYO-BAY)が1981年(昭和56年)オープンする.
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この津田沼戦争の大打撃を受けたのが,京成津田沼駅前通り商店街だった. 旧津田沼町のメインストリートとして賑わった商店街を取り戻そうと,約25年ほど前に名付けられたのがワイがや通りだった. 津田沼戦争は,ダイエーの自爆によってイトーヨーカ堂の勝利となり一段落するが,新京成新津田沼駅北側にイオン津田沼ショッピングセンター(現,イオンモール津田沼)が2003年にオープンし,京成津田沼駅前通り商店街のシャッターはつぎつぎに下ろしたままとなる.
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そのようなワイがや通り商店街(京成津田沼駅前通り商店街)だが,最近商店街の街灯が消えてしまい,通勤通学に通りを使う住民から「どうしたのか」といった声が出ている. 塾帰りの小中学生やクラブ活動帰りの高生には,どうしても必要なものだ. ワイがや通りには,商店街が設置した立派な照明設備があり,まだまだ使えそうで,老朽化が原因ではないようだ. ワイがや通り商店街街灯が消えた理由は,意外な理由だった...
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街灯は基本的に道路管理者が設置してその電気代もその管理者が払うか,道路管理自治体(市町村)から補助金を受けた町内会などが支払っている. ワイがや通りの場合千葉県道204号であるため,千葉県が設置および電気代を支払うことになる. 実際には,千葉県から習志野市に委託をしていると思われる.
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ここにはワイがや通り商店街が設置したアーケードがあるため,立派な街灯の設置(補助金が出ていると思われる)と電気代は商店街が支払っている. いや,いた. しかし,ワイがや通り商店街の約7割近くがシャッターを下ろし,商店街として電気代が払えなくなってしまった.
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千葉県としても,横断歩道付近のみ街路灯を設置することを検討しているが,通り全体に街路灯を設置するためには,まずアーケードの撤去と既存の街路灯の撤去をしないといけない. だが,アーケードの撤去の金すらない. 地域住民からは「昨年の予算時に千葉県や習志野市と調整ができたはずで,身勝手すぎる」といった声が出ている.
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