利根川(とねがわ)は,群馬県の標高 1840m 大水上山(おおみなかみやま)を源流にに,いくつもの川と合流し,千葉県銚子市までの延長 322km の大河だ. 支流の数は815河川で総延長は約 6700km にもなり,利根川水系の流域面積は約 1万6840km2 で日本一,河川の長さは第2位,年間平均流出量(流量)は第5位となる.
現在の利根川本流の流れ.
20160411_関東圏_利根川東遷事業_水害_22220160411_関東圏_利根川東遷事業_水害_098
利根川本流は,坂東太郎(ばんどうたろう)の異名も持つ. 坂東とは関東,太郎は日本一,「日本で一番大きいの川」というの意味となる. 九州地方最大の筑後川が筑紫次郎,四国地方最大の吉野川が四国三郎と呼ばれた.
かつて,霞ヶ浦一帯(香取海)は今よりも2-3倍広い面積があった(左図). 現在の河川(右図).
20160411_関東圏_利根川東遷事業_1000年前_05220160411_関東圏_利根川東遷事業_現在_062
利根川水系の流域は,東京都,千葉県,群馬県,栃木県,茨城県,埼玉県の1都5県にわたり,千葉県や東京都を始めとした首都圏の水源として,重要な役割を果たしている. 流域内には約1200万人(日本の人口の約10%)が生活している.
約400年前の関東北部の河川.
20160411_関東圏_利根川東遷事業_400年前_10420160411_関東圏_利根川東遷事業_400年前_108
江戸時代以前の利根川は,銚子から太平洋への流れではなく,現在の隅田川から東京湾に注いでいた. 利根川,渡良瀬川(太日川/江戸川),鬼怒川は,それぞれ独立して流れていた.
20160411_関東圏_利根川東遷事業_水害_17220160411_関東圏_利根川東遷事業_水害_192
利根川と渡良瀬川は東京湾(江戸湾)に注ぎ,鬼怒川常陸川(ひたちがわ)と合流して太平洋に注いでいた. 縄文時代後期(紀元前2000年代)ごろまでは,印旛沼,手賀沼(てがぬま),霞ケ浦(かすみがうら)までひとつにつながった大きな内海(香取の海)となっていた.
1594年の利根川と渡良瀬川と庄内古川(左図). 1621年-1641年の利根川と赤堀川開削と江戸川開削と逆川(さかさがわ)開削(右図).
1594年_利根川の東遷_徳川家康_江戸川_1141621年_1641年_利根川の東遷_徳川家康_江戸川_124
天下分け目の戦いとなった関ヶ原の戦い(1600年)で,徳川家康が覇権を握り,1603年に家康が将軍となって江戸に幕府を開く. だが,たび重なる洪水に悩まされ,利根川の洪水から江戸を守るため,利根川本流の流れを東京湾から東の大平洋にそそぐようにする大治水工事を開始する. これを「利根川の東遷(とうせん)」と言う.
1643年-1728年の庄内古川の締切と江戸川の開削(左図). 1838年-1928年の浅間川締切と合の川締切と関宿水閘門竣工と権現堂川締切(右図).
1643年_1728年_利根川の東遷_徳川家康_江戸川_1341838年_1928年_利根川の東遷_徳川家康_江戸川_144
会の川(あいのかわ)を締め切り,浅間川(あさまがわ)を締め切る. とともに新川通(しんかわどおり)を開削して,渡良瀬川(わたらせがわ)に接続した. これにより,渡良瀬川は利根川の支流となる.
ピンクの丸が源右衛門まつりの開催地,グリーンの丸が染谷源右衛門の自宅があった場所.
20160411_印旛沼開拓_八千代源右衛門祭_10220160411_印旛沼開拓_八千代源右衛門祭_112
赤堀川開削により,利根川は,鬼怒川(常陸川)と接続され,東側の太平洋へ注ぐようになる. 当時の川幅は約12m(7間)ほどしかなく,治水というよりも舟運をおこなうためのものだった. その後赤堀川はは,1809年と1871年(明治4年)の2度にわたって拡幅され,利根川の水のほとんどが,太平洋側へ流れるようになる. 現在の川幅は,1000mにもなる.
20160411_印旛沼開拓_八千代源右衛門祭_12220160411_印旛沼開拓_八千代源右衛門祭_132
江戸川(庄内古川と太日川:ふといがわ)は利根川の下流となる. 江戸川は,治水目的で利根川に接続したわけでなく,仙台などから銚子を経由して物資を江戸に運ぶための舟運として開削された. それまでの利根川の下流となっていた川は,古利根川と呼ばれ,現在は中川となっている. そして,60年の歳月をかけて,1654年に完了する.
2016年4月9日(土)-4月10日(日)におこなわれた源右衛門まつり.
20160410_印旛沼開拓_八千代源右衛門祭_1131_DSC0167520160410_印旛沼開拓_八千代源右衛門祭_0948_DSC01522
だが,この利根川東遷事業により,江戸の水害は少なくなったものの,一方で大雨のたびに利根川(常陸川)から印旛沼(いんばぬま)などに水やドロが逆流し,印旛沼周辺の水害がひどくなる...
.
20160410_印旛沼開拓_八千代源右衛門祭_1136_3120160410_印旛沼開拓_八千代源右衛門祭_1136_17
そこで,印旛沼西端の下総国千葉郡平戸村(現,八千代市の一部)の村民は,利根川(常陸川)を使って太平洋へ水を排水するのではなく,下総国千葉郡検見川村(現,千葉市)側の花見川と接続して印旛疏水路(新川)を造って,江戸湾(東京湾)へ排水することを考案する. 印旛沼の水位が下がれば,印旛沼の干拓(新田)もしやすくなる.
20160410_印旛沼開拓_八千代源右衛門祭_0948_DSC0152420160410_印旛沼開拓_八千代源右衛門祭_0948_DSC01526
そして今から280年ほど前の1724年(享保9年),平戸村の名主(なぬし/みょうしゅ)だった染谷源右衛門(そめやげんうえもん)が江戸幕府に陳情し,新たな水運路も確保できることからこの計画を認める.
20160410_印旛沼開拓_八千代源右衛門祭_0948_DSC0152720160410_印旛沼開拓_八千代源右衛門祭_0949_DSC01532
約 17km の掘割工事の総事業費は 30万両と見積もられたが,政府から出たのはたった 6000両だけだった. 軟弱な地質のため工事は困難を極め,資金捻出のため源右衛門自身の田畑を売って資金をつくり工事をつづけた. だが,2年後に資金は底をつき,全財産を工事に投じた源右衛門は破産,工事は失敗に終わった.
20160410_印旛沼開拓_八千代源右衛門祭_1007_DSC0154820160410_印旛沼開拓_八千代源右衛門祭_1125_DSC01649
それから60年後の1782年,大阪の資産家から資金を得て新田開発を目的に工事を再開する. だが,長野県と群馬県との境にある浅間山が1783年(天明3年)8月に大噴火(浅間山天明噴火),群馬県だけでも 1400名を超す犠牲者を出した. 浅間山噴火は,ほぼ関東一円に火山灰が大量にたい積し,天明の大ききんとあわせて,約20万人が餓死した. 栄養不良から疫病も流行し,日本の人口はわずか6年で92万人も減少する.
20160410_印旛沼開拓_八千代源右衛門祭_1125_DSC0164320160410_印旛沼開拓_八千代源右衛門祭_1125_DSC01647
関東平野に大量にたい積した火山灰は,利根川に大量に流れ込む. この火山灰利根川の水位を上げ,各地で水害が頻発するようになる. そして,1786年(天明6年)の大雨(大型の台風)で,利根川から印旛沼への逆流を防ぐ門が破壊され,この印旛疏水路の工事も失敗に終わる.
20160411_印旛沼開拓_八千代源右衛門祭_07020160411_印旛沼開拓_八千代源右衛門祭_080
さらに60年後の1843年(天保14年),新田開発ではなく水害防止と舟運のために3度目の工事が始まる. 延べ100万人にもなる作業員を繰り出したが,大量の湧き水のために工事は難航を極め,この工事も完成せずに失敗に終わる.
20160410_印旛沼開拓_八千代源右衛門祭_1126_DSC0165820160410_印旛沼開拓_八千代源右衛門祭_1127_DSC01662
さらに時は流れて98年後の1941年(昭和16年),内務省により4度目の着工をする. しかし,太平洋戦争のためにすぐに中止になる. 長かった戦争は終わり,街は荒れ果てていた. 首都東京から遠く離れた八千代や成田の地にも,食糧を求める人びとであふれかえっていた.
八千代市の新川(平戸川).
20160429_八千代市_平戸川_新川_花見川_0951_DSC0383320160429_八千代市_平戸川_新川_花見川_0951_DSC03835
1946年(昭和21年),食料確保のために印旛沼と手賀沼の干拓が国営事業として5度目の事業が始まる. 過去の幾度もの失敗経験から,一部ポンプを使って水をくみ上げる方法に変更された. 機械を使った工事ではあったが,それでも完成まで20年以上の長い年月がかかった.
20160410_印旛沼開拓_八千代源右衛門祭_1129_DSC0166720160410_印旛沼開拓_八千代源右衛門祭_1129_DSC01665
そして1967年(昭和42年),平戸川(新川)と花見川がようやくつながる. 源右衛門が始めた難事業は,250年後にようやく実現したのだった.
20160410_印旛沼開拓_八千代源右衛門祭_1131_DSC0167620160410_印旛沼開拓_八千代源右衛門祭_1131_DSC01680
源右衛門がいなかったまら,いまだにこの事業の完成はなかったかもしれない. その源右衛門の偉業を広く世間に広め,長く後世に伝えることを目的のひとつとして,(社)八千代青年会議所などが中心となって源右衛門祭りを毎年おこなっている. 今年は,2016年4月9日(土)-4月10日(日)におこなった. 今年で13回目となる.
20160410_印旛沼開拓_八千代源右衛門祭_0949_DSC0153520160410_印旛沼開拓_八千代源右衛門祭_0949_DSC01534
場所は,開削された新川(平戸川)脇の八千代総合運動公園多目的広場にておこなわれた.
20160410_印旛沼開拓_八千代源右衛門祭_1007_DSC0154520160410_印旛沼開拓_八千代源右衛門祭_1130_DSC01670
.
人気ブログランキングへ