
戦国時代の後,
徳川家康が最終的に天下を取り,1603年江戸に幕府を開いた.

その後
江戸幕府は,第15代将軍
徳川慶喜(-1868年)まで265年間続く.
▼新しい常盤神社.


世界史上まれにみる戦争のない平和な時代が続き,経済,文化,学問,芸術などさまざまな分野の活動が活発化し,江戸は100万都市にまでに発展する.

初代将軍
徳川家康と2代目将軍
秀忠,3代将軍
家光は,鷹狩りが大好きだった.

当時,
鷹狩りは最高権力者の象徴とされていた.


江戸初期のころの
鷹場は,現千葉県の
東金,現埼玉県の越谷,忍,鴻巣,現静岡県の相良,中泉などに散在していた.
鷹狩りは武士の娯楽のひとつで,今で言うところのゴルフコンペのようなものであった.

また,下総,上総を含む関東圏の主要部を支配していた後北条氏系の土豪(土地の小豪族)に対する軍事的抑止効果もあった.
▼古い常盤神社.


江戸から
上総東金までの道のりは,小岩(東京都)-市川-八幡(市川市)-中山-船橋までは
千葉街道を使い.

船橋からは,藤崎(習志野市)-大久保新田-実籾(みもみ)を通り,犢橋(こてはし/千葉市花見川区)-金親(かねおや/千葉市若葉区)-小間子牧(おまごまき/八街市)を経て東金求名(ぐみょう)までの
東金御成街道(とうがねおなりかいどう)を使った.

東金御成街道は,
鷹狩りのために造られた道路で,家康の命を受けた老中佐倉藩主
土井利勝が,沿道 97カ村の農民を総動員し,三日三晩の突貫工事で造ったといわれ,
一夜街道ともいわれる.

実際には,1613年の年末から15日ほどかかっている.


江戸から
東金までの道のりで,ちょうど
船橋あたりが宿泊地となり,家康の休憩宿泊施設としての船橋御殿(その後日本一小さな東照宮)も建造された.

1615年には
徳川家康と
秀忠親子が宿泊している.
家康は1616年に亡くなるが,
家康がこの御成街道を通って
鷹狩りをしたのは,1614年と1615年の2回だけであった.


1670年,
船橋御殿は廃止となり船橋大神宮の宮司に与えられ,その跡地に
船橋東照宮を建立した.

それが,
常盤神社(ときわじんじゃ)で,日本一小さい
東照宮といわれる.
東照宮は,
徳川家を御祭神として祀っている神社となる.

一時は,全国に700ヵ所以上あったとされている.

常盤神社は,現在千葉県船橋市宮本5丁目の
船橋大神宮(正式名は意富比神社/おおひじんじゃ)の境内社として移されている.
船橋大神宮の境内にある
常盤神社には,
家康の歯を納めた
家康木造(木造徳川家康像)が安置されている.

この
常盤神社の建物が古くなり,「徳川家康公400年祭記念事業」として建替えをおこなった.


建替工事は2015年10月で完了し,2015年11月4日(水)には,
遷座祭(せんざさい/神体を移す祭儀),11月5日(木)には
奉祝祭(ほうしゅくさい/大切な節目におくなう神事)をそれぞれ行った.

一般市民への公開は,2015年12月11日(金)からお披露目となっている.

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