「にげろー」,教職員らは叫んだ. 凄まじい音とともに大津波が押し寄せてくるのが見えていた. 2011年3月11日(金) 14:46 に太平洋三陸沖を震源として発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の大津波だった. 大津波北上川を遡上(そじょう)し,2階建ての大川小学校校舎の屋根を越え,子どもたちに襲いかかり,あっという間にのみ込んでしまった. 15:37 ごろだった.
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宮城県石巻市釜谷地区の北上川河口から約 4km もある川沿いの石巻市立大川小学校も大きな被害が出た. 児童108人のうち74人,教職員13人のうち10人が死亡した. 学校の災害としては,東日本大震災の最多の大惨事となってしまった.
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地震直後の14:46 ,教職員らの誘導で校舎から校庭へ移動し,クラスごとに整列して点呼を取っていた. 近所の人たちも,学校(釜谷交流会館)なら安全と避難してきた. 14:52 高さ 6m の大津波警報が発令.
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学校前にはスクールバスが待機していたが,これを使って逃げようという判断はなかった. また,学校裏には山があったが,「滑りやすい」などとして動かなかった. 何人かの保護者が子どもを引き取りに大川小学校にきていた. 「子どもを引き取る前に名前を書いてから」という教職員の指示に,「そんな時間はない」と無理やり子どもを連れさる保護者もいた. 校庭へ出てから「10m の大津波が来る」というラジオ(15:31;NHK-AM放送)を,助かった小学6年女子児童が聞いている. この時に急いで避難しても,まだ6分の時間があった.
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石巻市の防災マニュアルでは,津波対策として「高台に上る」とだけ記載され,具体的な高さは記載されておらず,避難場所は各学校に任されていた. 大川小学校も,事前に避難場所を決めていなかった. 学校裏から徒歩1分の場所に,避難できそうな山がある. 学校の行事として椎茸栽培の実習で登ったこともあり,学校側も知らない山ではなかった. 子どもたちも,昔から登って遊んでいた山だった.
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裏山に登る方法は,子どもたちがよく知っていた. 本能的に危険を感じた6年男子は「山に逃げだ方がいい」と訴えたが,教頭らは動かなかった. 結局,津波に襲われる1分前の 15:36 までの50分間避難行動をせず,世界でも例を見ない大惨事になってしまった. そのころ,ラジオでは「大川小学校に200人が避難している」と報じていた.
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その後,大川小学校裏山への避難は,緩い斜面をたどれば低学年でも5分で安全な高さへ行くことができることが検証されている. 「校庭での50分間,何をしていたのか」,「避難前に津波に流されたのか」,「津波は予見できたのか」などが確認点となっている...
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石巻市教育委員会の事故検証委員会の説明では,「裏山へ避難しなかったのは地域住民に反対されたから」としている. 説明の裏付けには,唯一生存できた男性教諭Aの証言が大きく取り上げられている. だが,そのようすを見ていた地域住民や生存できた子どもたちとの証言と大きく食い違っている. 関係者のほとんどが死亡していることから,詳細は確定していない.
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校長や石巻市教育委員会の報告は,当初から二転三転し,男性教諭Aの証言の信憑性(しんぴょうせい)が疑われている. 児童遺族が,男性教諭Aとの面会を求めても「主治医からの許可が出ない」ことを理由に拒否. 聞き取りに使ったメモや音声レコーダーも石巻市教育委員会によって破棄されてしまった. それ以降の聞き取りも,音声レコーダは意図的に使われていない.
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遺族からの強い要望により, ようやく大川小学校の惨事を検証する第三者検証委員会が2012年12月に設置される. だが,公開が条件だった委員会も,証拠となる映像を委員が事前検閲する,途中報告会も準備ができていないとなんども延期,ようやく開催できた説明会も途中で勝手に打ち切られる,といった異様な状態で進められ,児童遺族との溝は深まるばかりだ. 生と死を分けたものは何だったのか,本来取るべき行動は何だったのか. 九死に一生を得た男性教諭Aの証言には,子どもたちのようすがほどんど説明されていない. 子どもたちを助けなければならない立場だったはずなので,もっと詳細な重要証言があってもよいはずだ. これらの情報は,今後避難基準を作るにあたって重要な情報となるはずだ.
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こんな証言もある. 「助かった子どもたちのほとんどがびしょ濡れ状態だったにもかかわらず,この男性教諭Aだけはほとんど濡れていなかった...」と. 2011年3月11日(金)の東北地方太平洋沖地震から,まもなく3年になろうとしている. だが,大川小学校の真実は,いまだに明確にわかっていない.
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