2011年3月11日(金) 14:46,三陸沖を震源とする東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が起きた.
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地震の規模を示すモーメントマグニチュードは 9.0. 日本国内観測史上最大,1900年からの観測の中で世界第4位の巨大地震だった. この地震による死者行方不明者数 1万8517人(2014年3月10日時点),建築物の全壊半壊は 40万0151戸にもなった. その東日本大震災から4年となった.
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まもなく4年が過ぎようとしていた2015年2月17日(火) 午前 8:06 ごろ,三陸沖(宮古の東の約210km 付近)で発生した M6.9 の地震では,気象庁から津波警報が出された.
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それから約3時間半後の 13:46 ごろ,今度は岩手県沖を震源とする M5.7 の地震が発生した. 東北地方太平洋沖地震の余震と考えられ,今後も震度5クラスの地震が起こる可能性が数年続くとしている.
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3.11 東北地方太平洋沖地震が引き起こした大津波は,宮城県南三陸町のにも襲いかかった. 南三陸町の3つの川を逆流(遡上),内陸深く進入し被害を大きくした.
▼南三陸町の行政庁舎の1つ南三陸町防災対策庁舎では,15.5m の大津波がおしよせ,屋上に避難していた町職員ら約30名程のうち,8名しか残これなかった. ▼ここに,最後まで「避難してください」とアナウンスし続けた職員がいた.
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震災前の南三陸町の人口は 1万7666人,世帯数 5362世帯だったが,この大津波によっての人的被害死者 620人,行方不明者 213人が犠牲(全人口の 4.71%)になった. 地震が夜間だった場合,数倍の被害になったかもしれない.
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建物被害は,全壊 3143戸(全世帯数の58.62%),半壊・大規模半壊が 178戸(全世帯数の 3.32%),半壊以上の計 3321戸(全世帯数の 61.94%)にもなる. 現在,48の地域に58カ所の仮設住宅団地に2195戸が建設されている.
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この宮城県南三陸町にある南三陸ホテル観洋では,震災を風化させないためにと,スタッフが町をバスで案内する語り部バスツアーを運行している...
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仙台駅2階ステンドグラス前催事場でおこなわれた,南三陸町福興市. JR東日本仙台支社では,東日本大震災以降東北各エリアの復興支援,地域貢献を目的としたイベントを継続しておこなっている.
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JR仙石線(仙台駅-石巻駅)とJR気仙沼線(小牛田駅-志津川駅-気仙沼駅)が,まだ完全に復旧していないため,南三陸ホテル観洋が宿泊者向けに運行している無料シャトルバス(送迎バス)を利用する. 無料バスは往復1便のみで,片道2時間かかる.
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その他には,(株)ミヤコーバス(宮城交通子会社)が運行する仙台駅-気仙沼駅間の有料高速バスを利用(南三陸ホテル観洋前で下車)する.
宮城県南三陸町では,ようやく低地部の盛土(かさ上げ)の工事が始まった.
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南三陸 ホテル観洋は,岩盤の高台に建っていたが,津波で1階と2階が浸水した. 上の階は被害をまぬがれたこともあり,多くの市民がホテルに避難してくる. 自らも被災しながらも,600人の被災者を受け入れ衣食住を提供し続けた. その後も,全国から集まったボランティアを受け入れ,地域の窓口的存在となる.
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地域の学習塾もじん大な被害を受け,そこで学んでいた地元の子どたちのために,ホテルの部屋を自習支援スペース(TERACO)として提供する. 生徒が自習するスペースではあるが,全国各地から有名大学の学生が,ボランティアとして集まって子どもたちに勉強を教えた.
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三陸は,地球の反対側で1960年(昭和35年)に起きたチリ地震津波による被害をうけていた. だが,その想定をはるかに超えた今回の津波により,多くの犠牲者を出してしまった. 巨大堤防への過信から,逃げ遅れた市民も多かった. 「津波で,二度と命を失わない安全な街をつくる」という震災復興基本方針により,ようやくかさ上げ工事が本格化している.
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かさ上げ工事が大幅に遅れ,地元経済は循環していない. 震災前の観光地には戻っていない. 震災地でピースサインをした観光客が批判されたこともあり,「被災地を観光化するのはどうなのか」という声もあるが,単なる観光だけではなく,復興ツーリズムとして生きていくしかない.
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「あの日に何が起こったのか知りたい」と南三陸町を訪れる人も多く,南三陸ホテル観洋では2012年2月から毎朝『語り部バス』を運行している. 3年間で約6万2000人がこの語り部バスツアーに参加した.
オーシャンビューの客室には,ウミネコたちが迎える.
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週末には大型バス3台が満席になるほどで,ゴールデンウイーク(GW)にはバス6台が運行する. 語り部ツアーの所要時間は約1時間で,震災を経験した南三陸ホテル観洋の従業員たちが語り部を務める.

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