牛丼チェーン御三家といえば,吉野家ホールディングス(HD)の吉野家,ゼンショーホールディングスのすき家.松屋フーズの松屋の3社だ. その丼ぶり屋に参入したのが,三光マーケティングフーズ(東証2部上場)の東京チカラめしだった. 東京チカラめしは,焼き牛めしを武器に,2011年6月9日(木)に池袋西口に1号店をオープン,急速に店舗展開して2013年には162店にもなっていた.
東京チカラめし東船橋店
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そして,JR総武線東船橋駅北口前の船橋市東船橋3丁目にも東京チカラめし東船橋駅前店(直営店)が,2012年2月27日(月)にオープンした. 経営側は,「2014年度中に500店舗を目指す」と豪語していたが,急速出店がアダとなり,客離れが進みほとんどの店舗で赤字垂れ流し状態に転じてしまった.
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東京チカラめしの場合,牛丼大手の競合に負けたというよりも,自爆してしまったようだ. 当初から味が二転三転してた上に,人材教育が徹底されておらず店ごとで味や量にバラツキが多く品質が一定していなかあった. 特に,都内の店舗においては,店員の中国人率が高く,「接客が悪い」,「入店して20分くらいでやっと出てきた」,「コップが汚れすぎ不衛生なのは勘弁してくれ」などといった評判が出てくる.
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採算が取れなくなってきたことから,中国米とのブレンド米に変更し,食材の品質を落とした. その結果,「ご飯が黄変し硬くて臭い」,「肉は脂身ばかりでペラペラ」,「コンビニ弁当の方が質も量も値段も全てにおいて圧倒的に上」と,まるで「北京チカラめし」のようだという声になっていた. その沈みかけた泥舟を拾ったのが,外食チェーン店を展開する(株)ユウシンだった...
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(株)ユウシンは,(株)三光マーケティングフーズより東京チカラめし 68店舗の承継営業権を引き継ぎ,子会社として(株)チカラめしを2014年6月に設立していた.
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だが,一度失ってしまった評判を取り戻すのは難しい. 新体制になり,客は戻りつつあるが,結局不採算の東京チカラめしの業態変更をおこない,家系ラーメン店を展開している. それが横浜家系の豚骨ベースの醤油塩ラーメンの壱角家(いっかくや)だ.
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船橋市東船橋3丁目の東京チカラめしも横浜家系ラーメン壱角家となり,2014年10月4日(土) 11:00 にオープンした.
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